>>ショウコさま、こんにちは。ijustatです。 >> >>>昨日、生徒に教えていて感じたこと書きます。 >>> >>>日本語の疑問詞の「何」ですが。。。 >>> >>>いつ「なん」になっていつ「なに」になるか、分析したことありますか? >> >>これは学生から聞かれるたびにドキッとするのですが、一つ一つつぶして考えていく必要があると思います。 >> >>まず、「何」が“いくつ”の意味のときには、“なん”になります。質問にもあった、「なん冊」、「なん人」、「なん時」の他にも、「なんアンペア」、「なんユーロ」、「なんギガバイト」と、通常「なに」が付きそうな発音の語も、すべて一様に「なん」になります。 >> >>この妥当性をテストするには、存在しない助数詞を作って、「何」のうしろに付けるといいと思います。たとえば、「いちオヨヨ」、「にオヨヨ」、「さんオヨヨ」と言ったあと、数字があった場所に“何”を入れ、「なに」と「なん」のどちらが“いくつ”の意味になるか検討すれば、いいわけです。 >> >>ものを名前で定められない「何」は、基本的に“なに”ですが、発音の都合で“なん”を取る場合があります。たとえば、後ろに来た助詞・助動詞が“t”や“d”で始まるときには、普通の会話では“なん”と発音されるのが普通のようです。特に「何の」「何だ」は必ず“なんの”“なんだ”になるようです。ただし、「何に」は“なんに”より“なにに”の方が折り目正しい感じがするし、「何で」を“なんで”というと、理由をたずねる副詞と勘違いされるので、それを避けるために“なにで”と言う場合が多いようです。また、「と」の場合は複雑で、引用の場合は“なん”(例:何と言いましたか)で、並列の場合は“なに”が自然ですが“なん”も場合によっては使えるようです。 >> >>よく分からないものも、あります。たとえば、「何か」。普通は“なにか”ですが、くだけた言い方では“なんか”になります。これは説明できません。 >> >>また、「何曜日」も意見の割れるところだと思います。私は日本語を教えるまでずっと「なにようび」だと思っていました。ところが、他の先生からおかしいと指摘され、日本語の教材のテープなどで確認すると、たしかに「なんようび」と言っていました。けれども、NHKの発音アクセント辞典では、「なにようび」となっています。 >> >>勝手な解釈ですが、“なにようび”と言った場合、“どの曜日”という意味で、“なんようび”と言った場合は、“いくつめの曜日”という意味ではないかと考えています。曜日は数の表現ではありませんが、順番を表すことから、きわめて数詞に近い働きをしています。実際、ギリシャ語で月曜日は“第2の日”で火曜日は“第3の日”と、数詞であらわしています(ただし、金曜日は“備えの日”、土曜日は“サバト(安息日)”、日曜日は“主の日”です)。中国語でも、月曜日を“星期一”、火曜日を“星期二”と、数字であらわしています(日曜日は“星期日”ですね)。曜日は日本語では数でないけれど、数に近いために、“なに”と“なん”が揺れているのだと思います。 >> >>また、「なんぴと」は、“いかなる人”という意味の固まった形なので、別口で考えた方がいいというのが、私の考えです。 >> >>というように、“なに”と“なん”は、はっきり説明できる部分と、説明が難しい部分とがあります。うまく整理するのに成功したら、私たちに教えていただけますか。^^ >> >>ちなみに、「なに」と「なん」の揺れは、昔からあったようで、現代語でいう「〜など」は、古典では「なにと」という形で出てきます。それはおそらくある時代に「〜なんと」となり、中世の「ん」の後ろは必ず濁音になる規則によって「〜なんど」となり、それと同じ時期に発生した、濁音の前は必ず鼻音が生じる規則によって、「〜なんど」と「〜など」の表記が区別されなくなり、じきに濁音の前に鼻音が来るのが必須でなくなったとき、「なんど」の「ん」も消えてしまったのだと思います。 >> >>この中世日本語の発音規則は、現代ギリシャ語で起こっていて、たとえば別れ際の挨拶“アディオ”は、“アンディオ”とも言い、両者の発音上の違いは認識されません。そう、認識されないのです! 私はその発音と付き合いながら、室町時代の日本語に思いをはせています。(笑)
ijustat様。
丁寧なお返事有難うございました。 存在しない数詞。。発音の都合。副詞との誤用を避ける為。発音の規則。。
すごく納得できます。有難うございます。 日本で外国人に教えていたときは、疑問に思ったこと他の教師と話していって 自分の考えをまとめて、結論に近いものを出すことができたのですが。。。 今はそれを話すことができる人が周りに居ません。日本語の教師は私だけで、担当の教授はスペイン語教授で。。。。(汗) ijustat先生に頼ってしまっています。。。感謝です。
ギリシャ語の「アンディオ」と「アディオ」の違いが認識されない。。。。 それが室町時代の日本語と共通しているとは、、驚きますね。
発音の違いが認識されない、、これは他の言語でもよくあることではないでしょうか。 先日話題になった「マニュキャア」「マニキュア」「マニキア」 「じてんしゃ」「ジデンシャ」 人は私達が思っている以上に恣意的に言葉(音)をとらえているのではないでしょうか。 英語を話している人達に日本語を教えていて思うことは 母音の誤用?適用?です。 ご存知のように英語の母音の発音は日本語のように5つではないので、 ローマ字で 「umare-mashita.」と黒板に書いても素直に「うまれました」とは言ってくれません。「ゆまれました」と発音する人が多いです。英語では「u」が語頭に来たときは「yu」と発音することが多いからでしょうね。 その他に多い、、と思うことは「tsukai-masu」と書くと「tukari-mas]と発音する人が多いです。 いつも同じところで同じように違う発音をする生徒がいるので、英語の発音の影響なのでしょうね。 多少、違った母音の発音でも文の中で話されていけば意味が分かるので、聞いた人は 「あ、、生まれたのね」と自分で言い直して、会話は続くことでしょう。(笑) ただ、英語のAを日本人は「あ」としか発音できないので、日本人が英語を勉強するときは、反対のケースより困難が予想されますね。(笑)
ijustat先生。これからもご指導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。
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