こんにちわらぴすさん!ゆどうふです。
>以前、別の場所であったことを水にながして忘れようとしているのに >まだそのうえに、不愉快な気分にさせられる書き込みがありましたので >書いたこともありました。
そうですか。 でも、今後それは勘弁してくださいね、 知らない人は意味がわかりませんし、困ってしまいますから。 メモやメールでお話あってくださるようお願いいたします。
>また、語学の面において、教育現場において、先生のありかたにおいて、現代国語のありかたについても、誰にきいても、 >その話はおかしいだろうと思ったこともありました。 >また今まであまりにたくさんの人と、あまりにたくさんの場所で語ってきた内容だったので書いたこともありました。 >書く前に、たくさんの本を読んできて、また現実にいろんな人の意見を聞いてきた結果のうえでの意見で、 > >私独自の偏見で書いたものでは「決して」ありません。 > >あとで、補足として書かれた文章を読んで、納得はできました。
よかったではないですか。 自分と違った意見の人と出会えて… いや、これは本当の話ですよ。 私には私のバックグランド、思考体系があり、それゆえに一つの論を立てる。 AさんにはAさんの論が同じようにして成り立っているわけであり、 BさんにはBさんの論が。 そして、その差異をめぐって言葉を交わし、修正し、矛盾から新しいものを生み出していく。 それが、ヘーゲルの言った止揚(Aufheben)ですよね。 そうして、この世界は少しずつ違った人間様の言葉で組み合わさって出来ているのです。 だから、違った意見の人と出会えたのはいいことなんですよ。 己の中にある偏見すら、そういう意味で考えれば省みる価値のあるモノに思えてきて、不思議ですね^^
ただ、私はそのときに使われる言葉のやり取りが凄惨なものになる事を 非常に疎ましく思っているというだけの事です。 例えば、同じ「タバコを吸うヤンキーに注意する」という側面でも、 「このクズども!タバコなんか吸いくさりやがって、 お前らは、自分がどんなにバカなのか何にもわかってない!」などという言い方をするのと、 「あなたたちはタバコを吸っているけれども、それが一体 あなたたちにとってどんな不利なのか考えたことある?」という言い方をするのとでは おのずから結果も違います。 裏に流れている意図「ヤンキーの喫煙をやめさす」は一致していますが… っていうか、私がそのヤンキーだったら、前者言われたら殴ってますよ(笑) デール・カーネギーの「人を動かす」の中に 「どんな場合も鋭角は避けたほうがいいんだ」という言葉が出てきますが、 私が言いたいのもまさにそれです。 そして、おとなであるかぎり、この社会で長年生きてきたはずだろう、という推測を基にして 相手の立場をかんがみた言葉遣いを出来るはずだ と思っているのです。
>これからは、それはあまりに問題だろうと思うことは、ゆどうふさんに相談させていただきます。
ええ、お願いいたします。
でわでわ! ゆどうふ。
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