>こういう仕事に就くまでの道のりは楽ではありませんでした。 >ゼロ初2年間で大学院留学できるまでに仏語を上達させたのも >国際的に活躍するんだという強い意思があったからです。 >毎日3ページの日記をどんなに酔っ払って帰った夜も >仏語で一日も休まずつけました。
書いてる最中に、漏電が原因でヒューズがとんでしまい、いきなり 電源OFF。最初から書き直しています。
私ももしも機会が与えられたならば、最大限の努力をしました。 現実問題、私は、今でも朝9時から夜8時まで働いて(月曜から土曜まで) 家事もすべてこなしていますし日曜も半日つぶして、書類書きに追われています。
英語に関することをあきらめて書道教師をめざしていたときも子供を寝かせてから 眠くて眠くてお手本の文字すら、かすんでくるなかで練習しました。 中学生のころは、勉強のしすぎで、胃がおかしくなって 拒食症状態になりました。(やせたいのではなく、勉学のために食べる時間も 惜しみたかった)
私の時代は、女に4年制の大学など必要かという名残もありました。 ひとり娘の私を短期留学に出してくれただけでも、画期的なことでした。 まだまだそんな人も珍しかったのです。友人の間でもめずらしいほうでした。 遠くの大学に、ひとり住まいさせても行かせてもらえる余裕は実家には ありませんでした。 ましてや、大学院などもってのほか、留学など危険すぎて行かせられない、 ごくふつうの女性の生活をする人になってほしいという親の期待は 長女の私には裏切れませんでした。かたちばかりの塾ばかりで いわゆる効率よく研究しつくされた進学塾も存在しませんでした。
許されるならば、はいつくばっても、留学して勉強したい意志はありました。
頭で考えるのではなく、脊髄反射にちかくなるまで >繰り返すしかないですよね(笑)。
まったくそのとおりですね。脊髄反射。 >
> >カタカナでしか表記できないのでそうしましたが、実際には >アメリカ英語の発音を忠実に再現することを心がけました。 >ちなみに訛りも含め、今では15種類の英語を使い分けられます。 >カタカナ英語という意味ではありません。
環境の力はすごいですね。 実際にそういう言葉にふれられる環境にあり 真に必要となれば、どんなに会話が苦手な日本人でも、いつもいつも 話そうと、聞こうと、努力しているだけでなれると思います。 短大では、土曜の二時間はその学校に来ている留学生をまねいてのディスカッションが自由参加で行われていました。 それくらい程度の経験でも、オーストラリアの英語がどれくらい訛っているか わかりましたから。触れるチャンスがあれば、まねできるようになると思います。 アメリカ南部訛りのアメリカ留学経験のある日本人学生もいました。
> それは英語力とは違うスキルですよね。
おおぜいの前で話せる度胸も、英語を話す場合の心のもちかたにはプラスになると 思います。 > 習うより慣れろということがありますが、慣れというのはありますね。 >日本語だと逆に母国語ならではの照れがあるので、 >わたしには英語でのスピーチが一番楽です。 >思ったことを表現するのも、リズムをつけるのも、 >ジョークを交えるのも、英語のほうがやりやすいです。
慣れというものはすごいものですね。 私は日本語でのスピーチならば、照れなく、ジョークもまじえて話せます。 「先生」というものを体験すると おおぜいの前で話していても、この人は共感している。この人はろくに聞いていない。この人は反感をもってるようだと、それぞれの人の気持ちが見えてきます。 先生から見えていないようだから、気をぬいていてもわからないだろうと思ってる生徒はいるようですが(笑)
>文部省指導要領が受験の役にたったのはいつ頃までだったでしょうか。 >今ではレベルが乖離しすぎて何の役にも立ちません。 >しかも英会話にさえ結びつかないのです。 >(公立)高校の教官たちはわたしの授業を参考にしたいとメモしていましたよ。 > >楽しい授業をしたことはいいましたが、受験英語を無視したとはいっていません。 >当時わたしは東大・京大・医学部をめざす受験生を対象とした進学塾 >でも人気講師でしたので受験対策は完璧に把握していました。 >生徒による評価に連動する報酬は時給5500円に達してました。 > >もともとわたしは帰国子女ではなく、受験英語の延長でしゃべれるように >なった人間ですから。楽しみながら受験に備える方法はあるのです。 > >教育実習生でしたが、わたしは真剣に英語教育の向上を考えていました。 >当時ニューホライズンを執筆していた教授にも進言するなど、 >教科書改革にも貢献できたと思っています。 >決して遊び半分ではなかったということはご理解ください。
おっしゃていること、よく理解しました。 十年前というほどものでなく、わりと最近ではないでしょうか。 文部省の指導要領よりも、進学塾の教え方に学ぶべきところがあると ようやく気づいてくれるようになったのは。
私が短大卒業したころ(26年前)には、進学塾のようなものができつつありました。 独自の考え方で教え、行くならば公立でなくて、有名私立に行きなさいと すすめる塾が。 私の働いていた塾もそんな塾でした。 当時としては、どの教科に対しても、画期的で独自の授業をしていました。 今は、もっともっとつきつめて画期的で研究しつくされた効率のよさですが。 (ただ、学力格差のある公立中学では、使えませんよね。 最初に、能力別クラス編成が必要になりますから。塾ではその当時でもそうしていましたが)
まだまだ、そんな教え方があることにすら世の中の人は気づいていませんでした。
私の立場では、その当時のあまりに問題のある英語の授業について進言する ことも、そんなところにかかわるチャンスのかけらもありませんでした。 (独自の方法で、自宅で近所の子供たちだけにでも、理想の英語教育をと 思った時期もありましたが、少子化の影響で、子供相手の仕事は ある条件を満たさないと、成り立たなくなりました。)
現実に、教師採用試験ですら、縁故が重視されて、すばらしい学歴と学力があり、かつやる気があっても採用されにくい現実があります。 なんであの人が合格して、こんな有能な人が合格しないというような、 あきらかに不自然な結果があるのです。 だから今、教える学力すらない教師がいるという、あってはならないことが起きています。高校の数学教師に高校の数学の問題をとかせたら、落第点すれすれだったなどというようなことも、冗談でなく起きています。
NOVIOさんのように、問題点に気づいて、どんどん進言し、 あらゆる教科の理想のありかたを真剣に考える教育者が輩出することを願います。
私の息子は進学塾に行かせて、有名私学に通っています。 残念ながら、所得の関係上、娘は公立の進学校が限界です。 (しかし、有能であっても、なかなか女ならば、昇進できない日本の社会と 今の就職難を考えると、4年制であろうと、学歴であろうと、どこまで役立つのか わかりません。たとえ男子でも。知識、学歴はないよりはましくらいの気持ちでがんばってるのが真実です)
最大の学びたい気持ちを有効に生かせてあげられないのがつらいです。(涙)
ほとんど愚痴と社会に対する嘆きになりましたね(笑)すみませんでした。
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