1751   Re^15:私も一応教員免許がある立場で>NOVIOさんへ
2004/02/26 8:45:19  NOVIO   (参照数 22)

>お疲れ様です。いいですね。
>そういう外国をとびまわっての仕事をしたかった。。。

こういう仕事に就くまでの道のりは楽ではありませんでした。
ゼロ初2年間で大学院留学できるまでに仏語を上達させたのも
国際的に活躍するんだという強い意思があったからです。
毎日3ページの日記をどんなに酔っ払って帰った夜も
仏語で一日も休まずつけました。

>日常会話ならば、やはり、それが一番ですよね?
>私も確信します。

頭で考えるのではなく、脊髄反射にちかくなるまで
繰り返すしかないですよね(笑)。

>>わたしの英語力(?)を飛躍的に伸ばした一文はこれでした。

>What is it, now. が ホッタイモイズリナで発音がわかったという
>かつてのアメリカ在住日系人の感覚ですね。
>短大のビジネスイングリッシュの先生は
>仕事で英語を使いまくってきたエキスパートで、(いわゆる社会人が
>先生になったというパターン)
>その先生の発音に対する考えもそういう発想でした。
>発音そのものを考えるならば、問題もあるかもしれませんが
>感覚的に、発音の概略をとらえるには、いいかもしれませんね。

カタカナでしか表記できないのでそうしましたが、実際には
アメリカ英語の発音を忠実に再現することを心がけました。
ちなみに訛りも含め、今では15種類の英語を使い分けられます。
カタカナ英語という意味ではありません。

>教育実習などのように、おおぜいを前にしても、平気で説明することができるというのは一種の特技ですよね。
>わたしの場合は教育実習だけならば、だめだったかもしれないけれど
>学習塾で、英語を一年半教えた経験は
>今でも、たくさんの人を前にしても、(たとえ相手が大人であろうと、自信のあることならば)講義したり、あるものを説明したり
>するくらいは、平気でできます。

それは英語力とは違うスキルですよね。

わたしは仕事柄、英語をネイティブにしている人やそれ以外の人に
英語で講義をしています。
フランス語やスペイン語で講義するときは、相手は全てネイティブです。
日本人だから母国語じゃないなんてことを意識する人はいません。
要は何を伝えるかということですから。

習うより慣れろということがありますが、慣れというのはありますね。
日本語だと逆に母国語ならではの照れがあるので、
わたしには英語でのスピーチが一番楽です。
思ったことを表現するのも、リズムをつけるのも、
ジョークを交えるのも、英語のほうがやりやすいです。

>>指導教官からは君のことだから指導要領通りといってもきかんだろう。
>>自由にやっていいよ。といわれ、自由にやりました。
>>時間のほとんどは、
>>「アメリカって面白い。行ってみたい。話せるようになったら楽しいだろうな」
>>そう思わせるための漫談に費やしました。
>>
>>脚韻を踏む詩を教える章では、教科書はいっさい開かず、
>>当時流行っていたロックやポップ音楽のみを使いました。
>>最後の研究授業では、英語で教える直接授業でギャグもちゃんとウケました。
>
>確かにそのようにできれば、いいとは思いますが・・・
>歴史をそんなノリで、社会の先生がお休みだったときに、代わりにやってくれた
>先生がいました。
>
>ひたすら楽しかったけど、「試験に出る問題」がばっちりできる授業だったかと
>いうと、楽しかったという記憶だけで肝心のことが頭に入ってない。
>
>公立は文部省指導要領が重視されて、また私学は自由にはできても生徒の成績が下がれば、すぐにクビになる状況で、(かつ、有名校への進学率を上げなくてはならないノルマもある)
>本物の先生になったら、そういうことにがんじがらめになって、思うようにできないものですよねぇ。。。
>
>その「エッセンス」は大切にするべきだと思うのですが。。。

文部省指導要領が受験の役にたったのはいつ頃までだったでしょうか。
今ではレベルが乖離しすぎて何の役にも立ちません。
しかも英会話にさえ結びつかないのです。
(公立)高校の教官たちはわたしの授業を参考にしたいとメモしていましたよ。

楽しい授業をしたことはいいましたが、受験英語を無視したとはいっていません。
当時わたしは東大・京大・医学部をめざす受験生を対象とした進学塾
でも人気講師でしたので受験対策は完璧に把握していました。
もともとわたしは帰国子女ではなく、受験英語の延長でしゃべれるように
なった人間ですから。楽しみながら受験に備える方法はあるのです。

教育実習生でしたが、わたしは真剣に英語教育の向上を考えていました。
当時ニューホライズンを執筆していた教授にも進言するなど、
教科書改革にも貢献できたと思っています。
決して遊び半分ではなかったということはご理解ください。