1750   話す能力
2004/02/26 8:40:46  ijustat   (参照数 20)
これは 1738 [新しい地平] への返信です

私の言っていることがさんざん誤解されているので、付け加えなければなりません。全員が会話が苦手でもいいと言っているように取られて、それを慨嘆する方がいらっしゃいますが、そのように書いていないことは、よく読めば明らかです。話す能力に関しては、別に論じなければなりません。

一般に“会話”と呼ばれていますが、それよりは、“話す能力(oral proficiency)”として考えた方がいいでしょう。話すことは、あるときは日常会話であり、雑談であり、あるときは演説、あるときはディスカッションやディベートになります。その水準も、やっと話せる状態から、母語話者と同じにどんな内容でも話し論じることができる状態まであります。

ACTFLのOPIでは、これを初級(novice)、中級(intermediate)、上級(advanced)、超級(superior)の4つの段階に分け、さらに初級から上級までを下・中・上の3つに下位区分しています。

中級というのは、自分のいいたいことが何とか相手の助けなく言えるようになる段階です。この段階では、センテンスが最後まで安定して言え、サバイバルができる状態です。日本では英語がこの段階にでも達すれば、本人は喜び周りの人も一目を置くということがよく起こります。つまり、この段階がいわゆる“ペラペラ”の段階です。

上級というのは、その言語で大学の授業に出られる水準です。ものごとの描写や手順の説明ができ、慣れていない状況でも言葉で対処できます。母語話者から見た上級は、相手との言葉の壁を感じず、言葉によって心と心が通じると感じられます。たぶん英語で上級のレベルに達するのはごくわずかの人たちでしょう。上級は“会話”といえる範囲を超えているから、多くの人は、自分をそういうレベルにしようと思わないのです。

超級というのは、抽象的なレベルでの話ができる水準です。もちろん、自分の専門の場合は中級レベルでも抽象的で学術的な会話はできますが、自分の専門でなくても話ができるのが、このレベルです。たとえば、言語学を専攻している人が経済や哲学、美学などに話が及んでも、当惑することなくついていけるのが、この水準です。おそらく、英語がこの水準に達している人は、本当にわずかだと思います。

ACTFLでは超級を下位区分しませんが、アメリカの国務省では、さらに超級にあたる部分を3等分しているそうです。そして、国務省の教育では、アメリカ人にとってやさしい言語は6ヶ月、難しい言語でも2年でこの最終水準に達することが課されるのだそうです。私はその話を聞いたとき、驚愕のあまり、あいた口がふさがりませんでした。

外国語を勉強していて、“話す”ことを目指している人たちの目標は、私の目にはあまりにも低いです。中級の中ぐらいしか考えていません。このレベルに達すると、日常生活では何の支障もなくなるので、これ以上実力を伸ばそうとしないのです。そうではなく、もし自分の時間と努力をつぎ込んで英語を話す勉強をするのなら、少なくとも超級、できれば米国務省で求めるてっぺんの水準を目標にした方がいいのではないかと思います。目標の設定をしっかりすれば、伸び方も違うでしょう。

ACTFLのOPIは、日本では、日本語能力の測定に用いられ、テスターを養成するための講座もあるし(私はテスターになれなかった(涙))、テスターを目指す人のための参考書も市販されています。それを買って丹念に読めば、自分の目指す外国語の口頭能力向上の道がどうなっているのかが分かるでしょう。