私も必死になってTOEFLを勉強した訳ではありませんが、 TOEFLはアメリカの大学で講義を受講できる能力があるかどうかを測る試験だったと思いました。 その中には、北アメリカの学校生活全般で使われやすい口語表現が多く出てきます。 また、「華氏50度は熱いですか、暖かいですか、寒いですか。」なんて変な問題もありました。アメリカ史やアメリカ文学史に関する問題も傾向としては多く、 マークツウェィンやウィリアム フォークナーなどは出てきても、夏目漱石や吉田兼好は絶対にでてきません。(笑)
だから今の日本で会社の入社試験でTOEFLの高得点者を英語の出来る人と判断して入社させるのは、ちょっと可笑しな気がします。 TOEFLで高得点を取れる人はアメリカの生活に慣れている人、または、溶け込みやすい人です。(笑)
私がこちらで生活していて感じることはいかに日本に対する自分の知識がいい加減だったかということですね。書道を指導して欲しいという希望があっても、私は受けることができません。碁はできますか?と聞かれても、全然できません、と答えます。 でも言語学は好きです、勉強しました。教えるこつも少しは分かります。 だから日本語を外国語として外国人に教えることは大好きです。 また外国語を学ぶことは考え方に多様性を与えるという意味で大切だと思います。
語学は道具だと思います。研ぎ澄まされた良い道具を持っていれば、良い仕事ができる可能性が高くなります。いくら道具が良くても、それを使う人に何かを作り出す意欲と目的がなければ、通訳をやるだけの道具で終わると思います。(すみません。通訳や翻訳を軽視しているつもりはまったくありません。) 私の知り合いにノベール賞を受賞して、MITで教授をしている方がいますが、 この人は英語は本当にひどい発音です(ごめんなさい)でも皆耳を傾けます。 内容が素晴らしいからです。かれがTOEFLを受験したら、600点位しか取れないのではないでしょうか。。。(笑)とにかくTOEFLは短時間での判断を求めてきますから。。。私も同じだと思います。もう少し、ゆっくり考えさせてよ、、と言いたい(笑) 何を基準に英語力を測るのか、その人の能力を測るのか、、 またくだらないことを考えました。
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