1725   Re^13:私も一応教員免許がある立場で>ゆどうふさんへ
2004/02/24 17:52:18  yudouhu   (参照数 14)

こんにちわ、らぴすさん!ゆどうふです。

>たしかに、日本語ですら、えっとあれ。あれだよって
>(私もなりがち・・・)
>日本語の名詞すらど忘れして、出てこないこともよくあるとなると
>次の言葉でどんどん英語を言い換えなさいなんて言われて、頭がついていけば
>苦労などするかと思うかもしれません。
>また、情緒的というよりは、機械的に感じるのかもしれませんね。

そうですね、むしろその後者側の理由が問題とされます
「馬鹿げている」と捉えられがちなのです
ただし、自分が発話能力を身につけていてそう言っているのかとは…別(笑)

>常日頃、頭でっかちで、英語に関する学術的分析はできても
>英会話はできないという大学教授、高校教師、など
>英語の専門家の先生がまず英会話ぺらぺらではないというのが
>日本人として問題だと思っていました。
>
>そういう自分も、ぺらぺらとはいかない。。。これにもいらだっていました。
>
>また、英語教育のための教育方法を習う授業も
>「それじゃあだめでしょう」と思う理論ぱかりでした。

その教育方法の理論と言うのに興味があります。
なぜならば、理論というものは、どんな学問もたいていそうですけど、
経験と事実、予測と合理の間を縫って懸命につくられたものなので、
結構「ある事実に関しては」あたっているよ、という事も多いからです
そして、学習者のタイプ・目的というのも教育方法理論のとらえかたを大きく変えます
極端な話、中世神学者たちは「ラテン語」で世間話とかしようとは思わなかったと思います
だから、聖書を読む高度な読解力だけでいい…
ならば、当然とられるべきなのは訳読法ですよね。

らぴすさんがダメだと思えたのは、何と言う理論ですか?
なぜ、らぴすさんはその理論はダメだと感じられたのですか?

>英語ぺらぺら、そして英語の文章をそのまんま訳さずに理解できなくて
>なにが英語教育か。文部省のありかた、公立学校では冒険的な教え方のできない
>当事の事情(今はどうか知りません。。。ただ私学ならば、かなり流動的に
>できるようですが)

大変難しい問題ですが、私自身はそんなに「流暢な会話能力」を身につけられなくともいいと思っています
何故なら、私のいるここは日本だから。
そして、英語が教科として位置づけられている中には、
英語を学ぶ中で、生徒たちの精神成長に関して助けになるものがある
と考えられているということもあるからです
(そうでなければ、数学・図画工作とか音楽なんて無くなって当然でせう)
英語学者渡辺昇一の意見に、ある意味私は賛成なのです。
ただ、英語という異質なものに対して排除・逃避というパターンをとらない
オープンな心を持てる日本人になってとは思っています。
というより、それが英語を学校でやるキモのひとつですよね。

でわでわ!
ゆどうふ。