1700   乱れる日本語を憂う ら抜き、みょうな短縮
2004/02/22 1:25:17  lapis225   (参照数 19)
最近の日本語は
「見られる」などの受身または、可能をあらわす「られる」を
可能をあらわすときに

「見れる」「着れる」などと本来「見られる」「着られる」とするものを
ら抜きでいう言葉が、横行するようになりました。
外国人のかたにとっては

それが受身表現なのか、可能表現なのか
見分けがついて、このほうがいいと思うのでしょうか。
本来の形を重んじるべきなのでしょうか。
私は本来の言葉を大切にしたいという気持ちがかなりあります。

また「さりげなく」が「さりげに」
「なにげなく」が「なにげに」と短縮されています。

時代が速さをもとめるようになれば、言葉も変化するものだと
受け入れている文章を書くかたもいらっしゃいます。

ただ、私自身は本来の言葉を大切にしたい気持ちもありますが・・・

これらの変化した言葉を主に使うのは20代前後のひとたちです。

私から20歳近くはなれた人たちと、心のほうから近づいて
話したいという気持ちに重点をおくならば、

あえて、このような表現で話したほうが、心をひらいて話してくれるのは事実です。
一気にちぢまります。いちいち、相手の表現がおかしいと指摘していたら
うるさいおばさんになるだけ・・・

話したい気持ちが先か、文化が先か。。。
人と人が通じ合うのが言葉ならば、気持ちが先なのでしょうか。

この発言に対する返信…1716   Re^2: ら抜き、みょうな短縮<実は高校生の息子も憂う