1495   Re^2:『より良い外国語学習法を求めて』
2003/12/20 0:43:37  ijustat   (参照数 20)

ゆどうふさまこにちわ。ijustatです。

>逆に言えば、理論もなく経験から積み上げてきた市井の技術の中に、どれほど言語習得理論との一致が見られるか…それを知れるわけですね
>ぶっちゃけていうと、「お前はそれで成功したって言ってるけど、それってあんたが特別なのそれとも私らでも出来る話なん(みんなが応用できる理論にのっとってるのか)?」つうことですね。

そうですね。そういえば、著者は語学の達人たちの学習方法をごく普通のやり方と見ている点が印象的でした。何々式だとか、誰それの秘法だとかいったものはなく、ごく普通のやり方が、いちばん言語習得理論に合っていると言えるのかもしれません。もっとも、現在のように学習法に関して様々な雑音が飛び交う中で、普通の方法を手に入れるということ自体が秘術のようなものかもしれません。

>音読は最近でこそ見直されてきていますが、以前はそうでもなかったですよね
>しかし、素読の習慣や声だし読み(小学校低学年で必ず宿題になる)など、
>こういうアプローチのしかたの元になるようなモノが日本にもともとあったことは見逃せませんね
>温故知新温故知新。

そうですね。以前は理解することに重点を置いていたようですが、最近では様子が変わってきていますね。本当にいい傾向です。

>あと、文法の重要性の指摘によって、最近巷に猛威を振るう「会話熱」を多少覚ましていただきたいと当方は所望(笑)

今でも、もし私が“外国語学習は読めるようになるため”と言ったら、顔色変えて驚き反論する人も出てくるでしょう。でも、文法の知識はないとものすごく歯がゆいのは事実です。問題は文法を穴埋めの道具みたいに考える点で、本当の文法は、外国語を理解したり使用したりするときに用いる道具だと思います。それは、『より良い外国語学習法を求めて』でも指摘されていた、語学の達人たちの文法観でした。

>それはすごい…いや、さっそく図書館に買ってもらわねば。
>いや、本当は手元にほしいんですけど、私の部屋狭いからこれ以上モノ置けなくて(涙)
>でも、これほど立派な本だったら図書館はきっと買ってくれるでせう。

おお、それは悲しいことですね。立花隆氏の本の買い方は、私たち貧しい市民には当てはまらないんですよね。何せ、必要な分野の本ですら部屋に入らなくなってしまうんですから。私もそうです。でも、図書館は強い味方です。

>そして、今一番見落とされがち…いや、わざと見落とされている要素がこの「継続」という要素なんでせうね。

そうですね。継続さえできれば、外国語学習は怖いものなしです。その継続方法だけで、もしかしたら外国語学習法書籍のベストセラーになるかも。

ところで、今日(金曜日)、ソウルのクァンファムン近所にある日本文化センター(日本大使館の広報文化院)で韓国日語教育学会があり、そこでなんとこの私が、『どうしたらいい発音になるか』という題で発表をしてきました。韓国に戻ってきてから、その準備が捗らなくてとても悩みました。私のように学術的研究をしていない人間がある程度の説得性を持たせるためにはどうしたらいいかを考えると、とても不安でした。

そして思いついたのが、韓国語で発表するというものでした。そのわけは、この学会には韓国の高校で日本語を教えておられる先生方がたくさん聞きに来ると聞いていたので、その先生たちに照準を合わせたということと、日本語の発音について日本人が発表するというのはあまりにも平凡なので、自分はどのくらい外国語の発音ができるのか(あるいはできないのか)を見せる必要を感じたということと、やったことのない面倒なことを韓国語でやらなければ韓国語は伸びないと思ったという3つの点から、韓国語で発表をすることにしたわけです。

今までそんなことはやったことがなかったので、どんなことが起こるか見当もつきません。途中で立ち往生してしまったらどうしようという心配もありました。しかし、まずはすでに提出したハンドアウトを見ながら、それを韓国語で言ってみる練習をしました。それを2度すると、細部は即興で言えるようになりました。ハンドアウトは日本語で、口で言ってみたのは韓国語だけれど、これも一種の“音読”と言えるかもしれません。

そして、身を切るような冷たい風の中を会場へ向かい、発表時間の20分前に着くと、以前勤めていたヨンセ語学堂のOBだった先生が、受付で待っていて、来ないから心配していましたよと言います。ああしまった。自分の発表のことばかり考えていて、案内している先生のことを考えていなかったのです。その先生が熱い緑茶を出してくださったので、それを飲んで冷え切った体を温め、会場の中に入りました。

そして、ついに発表へ。名前と題を紹介されて、前のテーブルに行って座り、前置きなく韓国語で発表を始めると、周囲から驚きの声というか、息を呑むような微かな声が聞こえてきました。日本人がいきなり韓国語で発表を始めたから、びっくりしたようです。気は動転しても一応口は動くように練習してきたので、緊張は限界に達していましたが、卒なく話は続けられ、聞いていた人たちは、私が緊張しているとは感じていなかったそうです。

発表は私にとって、マラソンのように苦しいものでしたが、無事に終わりました。終わったあと、何人かの先生が来られて、挨拶を受けました。どうやら韓国語で発表するという作戦は、ある程度功を奏したようです。こうやって、私の生まれて初めての学会発表は、一種の音読のおかげで、無事に終わりました。