ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。
>そしてバスを降りたあと、韓国の人たちと話し始めたのですが、なんと、韓国語がすぐに出てきません。ギリシャ語でたどたどと話すのが癖になったのか、韓国語までたどたどと口から出てくるのです。しかも、西洋人臭い(?)韓国語が。これには我ながら驚きました。まあ、私は韓国では外国人ですから、たどたどと話していた方が自然なのですが(笑)、普段はまあわりと自然に口から出ていたので、これには驚きました。
せ、西洋人臭い韓国語!やっぱりギリシャ語を使ってた余波みたいなものでせうか?
>もし韓国語ではなく日本語だったらどうだったか考えてみました。たぶん日本語でも、韓国語よりはましかも知れないけれど、やっぱりちょっとおかしくなっていただろうと思います。頭の中の言語回路が重たいギリシャ語で詰まってしまって、韓国語がちゃんと流れ出て来ないといった感じでした。 > >私の想像ですが、ギリシャ語の思考回路を一生懸命作りながら会話をしているうちに、それで頭が固まってしまい、韓国語で話し始めたとき、最初はギリシャ語の回路が頭の中に残っていたために、それを壊しながらまた韓国語の思考回路を立て直すために、話すのがもたもたしてしまったのではないかなどと考えてみました。ふつう二重言語を使用するようになると“スイッチング”ということが行われるようになるというのですが、こういうのはどういうことなんでしょうね。 > >これも一種の外国語効果でしょうか。言語的挫折の残存効果なんて言ったりして。
ちょうどナイスなタイミングに、
この間似たような事例について書いた本を読みましたよ。 河出書房新社の「人生読本『外国語』」という本です これは、ひとつのお題について色んな人が書き物を寄せているもので、そのうちの「外国語」編です。 その中にW.A.グロータースという方が「バイリンガリズムについて」と言う文章を寄せています。 何でもそれによれば、場面を見ると母語が出るフィードバックを二つ持っているのがバイリンガル(二重言語使用者)だとか。 つまり、○○語で話していたとき、もうひとつの母語△△語が聞こえたら(そう言う刺激があれば)それがきっかけでいつのまにかそちらをつかっていたりする、というような。この作者さんの例として、原稿の準備のノートとりの事例が挙がっていました。 オランダ語の本を読んで仕事をはじめた時はノートはオランダ語だったのに、 何かの拍子にフランス語話者の友達が部屋に入ってきて、フランス語でちょっと話した。 そうすると、ノートがその辺でフランス語になってたんですって(笑) (本人は無自覚だったらしい) ノートではオランダ語とフランス語が「混ざっている」ように見えても、 それは「刺激によって時間的に二つの言語が続いたにすぎない」と。
この事例から見れば、やはりある程度年喰ってから勉強した外国語は、絶対「母語」にはならないため、この切り替えが行われない…もしくは非常に困難である、ということになるんでせう。 逆にいえば、それも外国語会話の困難さを示しているといえます。 また私見ですが、それはギリシャ語と韓国語がそれだけかけ離れているということも影響しているかもしれませんね。 文の組み立て方がまったくちがうというような…
ちなみに、グロータースさんによれば、 外国語を覚えるコツは… 親を選ぶこと、だそうです(笑)
でわでわ! ゆどうふ。
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