1456   一種の外国語効果?
2003/10/06 23:47:55  ijustat   (参照数 29)
こんにちは、ゆどうふさま。ijustatです。

先週の金曜日に、ギリシャ正教会のモナスティーリオ(=修道院)へ遊びに行ってきたのですが、そのとき実に3ヶ月ぶりにギリシャ語を使いました。バスに乗ってソウル郊外のカピョンという所にあるモナスティーリオへ行くまでの間、英語を交えながら、たどたどとギリシャ語で話していたのですが、聞くのも話すのも大変なエネルギーが必要でした。(途中でバスに酔って気持悪くなり、そのあとは到着するまでずっと寝ていました。)

そしてバスを降りたあと、韓国の人たちと話し始めたのですが、なんと、韓国語がすぐに出てきません。ギリシャ語でたどたどと話すのが癖になったのか、韓国語までたどたどと口から出てくるのです。しかも、西洋人臭い(?)韓国語が。これには我ながら驚きました。まあ、私は韓国では外国人ですから、たどたどと話していた方が自然なのですが(笑)、普段はまあわりと自然に口から出ていたので、これには驚きました。

もし韓国語ではなく日本語だったらどうだったか考えてみました。たぶん日本語でも、韓国語よりはましかも知れないけれど、やっぱりちょっとおかしくなっていただろうと思います。頭の中の言語回路が重たいギリシャ語で詰まってしまって、韓国語がちゃんと流れ出て来ないといった感じでした。

私の想像ですが、ギリシャ語の思考回路を一生懸命作りながら会話をしているうちに、それで頭が固まってしまい、韓国語で話し始めたとき、最初はギリシャ語の回路が頭の中に残っていたために、それを壊しながらまた韓国語の思考回路を立て直すために、話すのがもたもたしてしまったのではないかなどと考えてみました。ふつう二重言語を使用するようになると“スイッチング”ということが行われるようになるというのですが、こういうのはどういうことなんでしょうね。

これも一種の外国語効果でしょうか。言語的挫折の残存効果なんて言ったりして。