1436   日本語教育のための人間研究(?)
2003/08/28 17:06:54  ijustat   (参照数 37)
これは 1424 [Re^10:資質] への返信です

ゆどうふさんこにちわ!ijustat-ljです。

>なるほど、そういうやつですか…
>いわゆる会話のストラテジーってやつですね
>確かに「ハーバード式」みたいな感じで、日本版ができれば面白くあります
>(私はデール・カーネギーの「人を動かす」のほうが好きですが、それでもやっぱり
>日本語会話としては不自然っぽいな、というような発話例がありますから)

「人を動かす」は素晴らしい本ですよね。でも、それが日本語会話として不自然になる理由のおそらく一つは、かなり根深いところにあるのではないかということに気づきました。といっても、自分で発見したのではなく、本を読みながら、考えたのです。

今、『幻想の未来』(岸田秀著、講談社学術文庫)という本を読んでいます。この人の世界観には、キリストを信じる私としては異論があるけれども、“自我”の問題に鋭い切れ味でメスを入れたこの文章は、すばらしいと思います。この辺のところを解決しないと、異文化交流を深めることはできないのではないかと考えながら、読んでいます。

最近の日本語教育は、かなり深く遠いところまで行ってしまっているので、自分の頭を追いつかせようと思ったら、人間とは何かということを扱った本も読まなければならないのではないかと思っています。それがどんなふうに教材や教え方に返ってくるのかは分かりませんが、何か決定的なところで、たぶん違いが出てくるんじゃないかと期待しています。

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……先日は、以上まで書いたところで学生が面談に来たので、書き込みが中断してしまいました。『幻想の未来』はその後読み終わりました。ほんとうに素晴らしい本です。人間について(自分自身についても)釈然としなかったいろいろな行動上の疑問などが、かなり解けたような気がしました。段落一つ一つのとても長い、見るからにとっつきにくい本ですが、文章は明晰で読みやすいです。

異文化交流について本格的に勉強したことはないのですが、韓国ではトンドク(=同徳)女子大学の奥山先生がやっていて、日本語教育関係の学会の発表などで聞きかじるところでは、人間自体の根本的な問題にまで触れているようです。

日本語教師は必然的に、自分とは価値観や考え方が全く違う人たちに接することになるので、異文化交流についての知識や技術が必要になってきます。しかしそれは、韓国と日本、中国と日本、マレーシアと日本、アメリカと日本といったように、すべてを個別にやっていても、共通点は見えてきこそすれ、その本質に迫ることまでは難しいと思います。特に、韓国だけで日本語を教えていると、日本人との比較だけで韓国人を見て、自分勝手な人間観を作り出してしまう傾向があります。三木清は、旅によって愚かな人はますます愚かになると指摘していますが、至言だと思います。高校生の時にこの言葉を『人生論ノート』で読んで、どういう意味だろうと思いましたが、その後韓国で日本語教師を始めるようになってから何年もして、ふと、ああそれは以前の自分のことだったんだと気がつきました。*^^*;