ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。
>その他にも、人と親しくなる方法だとか、なぐさめたりほめたりする方法など、言葉の技術を要する場面はたくさんあります。それらはもちろん日本文化から切り離すことはできませんが、その技術に関していえば、文化を超えたテクノロジーとしての方法論が必ずあると思います。そんなものを全面的に押し出した日本語教材があったらなあと思っているわけです。
なるほど、そういうやつですか… いわゆる会話のストラテジーってやつですね 確かに「ハーバード式」みたいな感じで、日本版ができれば面白くあります (私はデール・カーネギーの「人を動かす」のほうが好きですが、それでもやっぱり 日本語会話としては不自然っぽいな、というような発話例がありますから)
>「日本人は○○だ」で思い出しましたが、最近私の周囲では聞かないのですが、以前は韓国で「日本人は暴力的だ」「日本人は表と裏がある」「日本人は低俗だ」「日本人は女性差別をしている」などの偏見に満ちた、あるいは自分のことを棚に上げた意見をたくさん聞きました。それらは否定できない事実であることもあるのですが、間違いを正そうとしても、相手は確信を持って言っていますから、私の言葉が耳に入ることはめったにありません。 > >逆に言うと、日本に戻ったとき父などが、韓国人はどうのこうのと言うとき、それは一面的な真実は含んでいるものの、ほとんど必ず偏見に基づいているので、それを是正しようとするのですが、成功した試しはありません。こいつは日本人のアイデンティティーを捨てて韓国かぶれしてしまったと思われるのが関の山です。韓国では、やっぱり日本人だから日本の弁解をするのだと言われ、日本では、韓国に長年住んで韓国かぶれになってしまったと言われるわけです。私はそのような態度を見ながら、自分もきっとそういう、どうしようもない確信をあれこれ抱えているのだろうと思い、気をつけるようにしています。
うー…なんだか絶望的になってしまいますよね。 より正確を期した見方にお互い近づいていけばいいのですが… そのような見方が、実際にその人たちにあって是正されるかといえば、実はそうでもない場合も多いのでは、と考えています 人間は自分の見たいように物事を見るものですから。 つまり、「韓国人は○○」というファーストインプレッションがある限り、 そのバイアスがかかっためがねでその相手を見るので… (こういうことを大学のレポートで書いた覚えあります。 なんてったっけか、何とかバイアス・リローデッド現象とか名前つけてた気が(笑)) こうして民族差別とか偏見は続いていくのかなーなんて思います。
>セミリンガルの問題を解決するのは難しいことではないのですが、私は周囲の抵抗がものすごかったです。私に対して、言葉と言うのは自然に習得するものなんだから、自然に身につけさせればいいのだと説得した人までいました。私はそのとき、その人の言葉を弁護士事務所で公証してもらって、言ったような結果にならなかったら経済的な責任を取ってもらいますと言いたくなったほどです。
この「自然習得」の物言いは、理にかなっているように見えて実はそうではないことを 多数のデータが既に証明していますよね。 日本語母語だけ取ってみても、小学校中学校いかさないで国語能力が身につくかっていったら、しゃべりはいけても読み書きはむりでせう…
>発音くらいが早期教育のメリットなら、する価値は低いですよね。私たち(=日本人)は発音に妙な劣等感を持っていて、韓国人は発音に妙な自信を持っていますが、どちらも共通して言えることは、訛りのある外国語を話していても、ちゃんと通じているということです。日本式発音や韓国式発音の癖が残っていても、意思疎通には問題がないと思います。 > >外国語は基本的な使い方の習得が難しいから早期教育が必要だと言っているのかと思っていましたが、そうではないようですね。
ではないと思います。確かに日本は環境的に外国語母語話者がたくさんいるわけじゃないですから(cf.アメリカ)。 しかし早期教育を取り巻く環境を見ていると、どうも親御さんの 「俺が英語しゃべれへんのは(←あえて英語と書きませう。なぜなら、皆英語のことばっかり考えていて他の言語なんてどうでもいいみたいだから)、ちいさいころからやってへんせいや」 というような思い込みが強いみたいなんで (そんなこといったら、成人してから日本に来てバリバリ日本語しゃべるようになった外国語母語話者の立場は(笑)?!)
>ところで、「発音」より「態度」の問題で思い出しましたが、『新しい日本語の予習法』(金田一秀穂著、角川Oneテーマ21、2003年)で、ゆどうふさんと同じことを指摘しています。この本は、言葉はやさしくて字も大きく読みやすいのですが、内容は深いです。問題は言葉遣いではなくて、話す以前の態度にあるのだというのが、この本の中心を流れるメッセージのようです。
を、また読みたい本が一冊増えましたよ… 「態度」のことで思い出したのですが、どの本で読んだか忘れたのですが(多分関口一郎) 東京のサラリーマンに、見た目西欧人(金髪)が日本語(←注目)で話し掛けると、 ほとんどがあいまいに笑って逃げたそうです。 しかし、ちょっと郊外にでたとき、そのへんのおばちゃんにやはり話し掛けると、 その人は「何?○○寺にいきたいの?」とちゃんと対応してくれたそうです。 …結局、こういうことだと思います。 多分英語教育を受けた期間、そしてブランクなど考えると、おばちゃんのほうが不利だったはずです。 しかしこのような結果がでた…それは、異文化に開かれた態度が育っていたか否か、ですよね。
>以前、日本語が達者なことで有名な言語学者のグロータース神父が、大学で学生たちに言ったそうですが、バイリンガルになりたかったら、親を選びなさいとか。そのアドバイスを聞いて喜んだ学生は一人もいなかったでしょうね。
「親を選びなさい」…しまったあ、神父さん本質ついちゃったよ(笑) …でも、ある程度は運でありますからな、やはり。 今のEUに生まれるのと日本に生まれるのとじゃあ、まず外国語に接する機会の量が違いますからね。
でわでわ!
ゆどうふ。
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