1420   Re^9:資質
2003/08/06 1:16:11  ijustat   (参照数 19)
これは 1416 [Re^8:資質] への返信です

ゆどうふさんこにちわ。ijustatです。

>心の交流…つまりそれは、日本人的な考えまで網羅した教材、ということでせうか
>ある意味国際交流教育ともかかわってきそうですね。
>それは、例えば…「日本人は仲間意識が強い」とかいう認識を教材のなかに
>いれこんだりするということでせうか
>(「仲間はずれ」とか題材にして…う、なんかとげのある教材だ(笑))
>なんかうまいことイメージできません^-^;

そうですね。私の書き方が何の前置きもなかったので、理解しにくい書き方になってしまいました。失礼。

私が考えたのは、異文化間交流の成果を活かすよりは、心理学的な成果を活かした教材です。人間関係の中で、日本人には日本人の問題解決方法がありますが、それは理想的な方法というわけではありません。

たとえば、相手と利害が絡んだときの解決方法は、私たちにもそれなりのやり方があるけれども、交渉のプロから見れば、穴だらけでしょう。たとえば『ハーバード流交渉術』(知的生き方文庫)という本がありますが、交渉に関しては、あの本に書かれているような原則を、日本語での交渉に用いるということです。それは、韓国人の一般的な交渉法とも違うので、学習者によっては受け入れられないかもしれませんが、教材がうまくできて学習者もうまく身につけられれば、日本での生活はかなり楽になると思います。

その他にも、人と親しくなる方法だとか、なぐさめたりほめたりする方法など、言葉の技術を要する場面はたくさんあります。それらはもちろん日本文化から切り離すことはできませんが、その技術に関していえば、文化を超えたテクノロジーとしての方法論が必ずあると思います。そんなものを全面的に押し出した日本語教材があったらなあと思っているわけです。

こんなことを考えたわけは、私自身が話下手だから、そういう技術を学んでみたいということもありますが、私の思いの中には、できれば日本語教師はコミュニケーションの熟練者でありたいという理想があるからだと思います。それで、自分にもできないようなことを教える教材を作るか、あるいは誰かがそんな教材を作ってくれたら、その教材で教えながら、自分がそんな技術を身につけたいと思っているんです。

>ある意味、私たちの一般的な知識というのは、みなその傾向を免れないのでは…
>例えば、「地球は太陽の周りをまわっている」だって、
>地球サイドから見れば「太陽は地球の周りをまわっている」天動説で何の問題もナッシングだったんですから。
>「日本人は○○だ」「○○人は○○だ」などにいたっては、そうでない見方など存在しないでせうね(いいにつけ悪いにつけ)。

「日本人は○○だ」で思い出しましたが、最近私の周囲では聞かないのですが、以前は韓国で「日本人は暴力的だ」「日本人は表と裏がある」「日本人は低俗だ」「日本人は女性差別をしている」などの偏見に満ちた、あるいは自分のことを棚に上げた意見をたくさん聞きました。それらは否定できない事実であることもあるのですが、間違いを正そうとしても、相手は確信を持って言っていますから、私の言葉が耳に入ることはめったにありません。

逆に言うと、日本に戻ったとき父などが、韓国人はどうのこうのと言うとき、それは一面的な真実は含んでいるものの、ほとんど必ず偏見に基づいているので、それを是正しようとするのですが、成功した試しはありません。こいつは日本人のアイデンティティーを捨てて韓国かぶれしてしまったと思われるのが関の山です。韓国では、やっぱり日本人だから日本の弁解をするのだと言われ、日本では、韓国に長年住んで韓国かぶれになってしまったと言われるわけです。私はそのような態度を見ながら、自分もきっとそういう、どうしようもない確信をあれこれ抱えているのだろうと思い、気をつけるようにしています。

>情緒不安定というファクターははじめて聞きました。
>バイリンガルの子どもが、どちらの言語能力も高いレベルまで伸ばせない「セミリンガル」と言うのは聞いたことがあるのですが…

セミリンガルというのは、二重言語の中で育った子どもが陥りやすい罠です。喋るときは2カ国語を話しているからすごく見えるのですが、現状を知っている親にとっては胸の潰れるような思いです。

セミリンガルの問題を解決するのは難しいことではないのですが、私は周囲の抵抗がものすごかったです。私に対して、言葉と言うのは自然に習得するものなんだから、自然に身につけさせればいいのだと説得した人までいました。私はそのとき、その人の言葉を弁護士事務所で公証してもらって、言ったような結果にならなかったら経済的な責任を取ってもらいますと言いたくなったほどです。

>日本では、ちょっと前に「小学校でも英語教育ができる(ただし、音声主体の導入程度)」ことになったので(総合的な学習の時間)、
>この問題についていろいろ言われていましたよ。
>やはり、母語が確立していない時にしても…という説と、
>音声ははやけりゃ早いほうが身につくんだ!という説がメインストリームでしたね。
>
>…個人的には、音声面については、
>大人になってから勉強してもいいと思ってます。
>で、多少ネイティブから見てナマってようと、それでもいいと。
>なんでかというと、むしろ日本人の会話下手というのは「発音」より「態度」の問題だと思っているからです。
>究極、ダメなら筆談でもいけるはずなんですから…

発音くらいが早期教育のメリットなら、する価値は低いですよね。私たち(=日本人)は発音に妙な劣等感を持っていて、韓国人は発音に妙な自信を持っていますが、どちらも共通して言えることは、訛りのある外国語を話していても、ちゃんと通じているということです。日本式発音や韓国式発音の癖が残っていても、意思疎通には問題がないと思います。

外国語は基本的な使い方の習得が難しいから早期教育が必要だと言っているのかと思っていましたが、そうではないようですね。

ところで、「発音」より「態度」の問題で思い出しましたが、『新しい日本語の予習法』(金田一秀穂著、角川Oneテーマ21、2003年)で、ゆどうふさんと同じことを指摘しています。この本は、言葉はやさしくて字も大きく読みやすいのですが、内容は深いです。問題は言葉遣いではなくて、話す以前の態度にあるのだというのが、この本の中心を流れるメッセージのようです。

以前、日本語が達者なことで有名な言語学者のグロータース神父が、大学で学生たちに言ったそうですが、バイリンガルになりたかったら、親を選びなさいとか。そのアドバイスを聞いて喜んだ学生は一人もいなかったでしょうね。

それにしても、私も英語が苦手なのが悲しい。昨日もハリーポッターのビデオを見ながら、自分も英語がよくできるようになりたいと、胸を痛ませながら思いました。