ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。
>なるほど。たしかに、あれこれ必要なことを考えて自分はできないと思ってしまったら、本当にできなくなってしまいますからね。まずは日本語教師になってしまうことが大事でしょう。勉強はなったあとからでもできますから。実際、日本の日本語教師は、ものすごく一生懸命勉強しています。
うう、なんか、身にしみます(笑) そうですよねー、勉強はいつでも出来るんですよねー…
>ところで、学習者の方にも必要な資質はあるようで、梨花女子大の言語教育院で上級クラスまで行く学生には共通する性格があるようだということを、以前同僚の先生と話したことがあります。そのとき私が思いついたのは、温和な性格の学生が多いということでしたが、もう少し表現を言い直すと、感情の安定した学生が多いと言ってもいいかも知れません。たぶん、感情が安定していないと、他の勉強の合間に規則正しく日本語の勉強を続けることは困難だからでしょう。先生の言う言葉にカチンとくることもあるだろうに、それにもめげずに来つづけられるのは、やはり感情が安定しているからだと思います。^^
まさに語学は修養、という感じですね。 正確にいえば、精神が修養されている人のほうが語学学習を長く続けるには向いているということになりますが。 確かに、「プライド」や「悪感情」が語学学習の邪魔をするケースがかなりあるように思われます。 「失敗して恥をかいた→もうやらない」「批判されてむかついた→もうやらない」とか(笑) ささいなことかもしれませんが、この辺の感情をどうにかするテクニックが教師には必要なのかもしれませんね(特に初級では)
>そういえば、斎藤孝先生のホームページに、教師の資質について書いたページがあります。教師でなくても、こういう態度は必要だなあと思います。
読書の習慣が身についていること というのが、太字だったのが印象に残ります そうでない教師なんているのかなあ、というかんじなのですが。 たしかに、教師としてだけではなく、人間として必要な力として考えられるものもたくさんありますね 自分を表現できるものを育てていること、とか。
でわでわ! ゆどうふ。
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