ijustatさんこにちわ!対数・指数が相変わらず高校の時と同じくわけわからなくて泣きそうなゆどうふ(教採一次まで後21日)です。
>変なことを考えてしまいましたが、昔から大人は若者の語彙力や表現力の乏しさを指摘してきたと思います。そしてそれらは数量で表せるものなのですから、もし何らかの計算で今の若者と年輩者との語彙力や表現力を算出して、その差を割り出し、若者の語彙力の低下を指摘している時代の文献をすべて集めて計算していったら、紀元前後の人類の知識は恐ろしいものになると思います。そして、未来へその計算を向けていくと、ある年に、若者の語彙量はゼロになり、その後はマイナスになる!^△^;
マイナス語彙!なんと、思いつくものすらない! …って、そんなことないっすよね^−^; 新語が着々と生まれ、死語が消えうせていくその中でも、 若者の使う言葉の総量というモノは時代変わってもそんなに変わらないような気もします(会話では、そんなに言葉を意図して使う人少ないですからそう見えるのかも。 語彙をフルに活用・駆使してしゃべる人そんなにいないですよね?)
>日本語を教えながら思うのですが、日本語は外見的にはその論理的構造が曖昧に見えることもあるけれども、プロの書いた文章を読みながらその文の構造などを説明していると、日本語はまるで数学のように論理的にしっかりした言語だというのを感じます。いや、言語というのはもともと論理的な正確さを求めるものなのかも知れません。
外国語母語話者の人に教える時の日本語は、結構その傾向が強いのではないのでせうか。 昔見た日本語教科書では、あいまいな言い回しなどすぱっときりとられてなくなっており、 「〜〜です」「〜〜は嫌いです」「〜〜ではありません」と、 「ノーといえる○○」的表現ばかりで(笑) 多分それはほかの言語でもそうなのだと思います。 大体、論理を構築できるノーミソを持った(大人の)論理力が、 言語によって左右されるのかといったらそうではないと思いますし。 卵が先か鶏が先か論争になりますけどね。
>そういえば、大学生の頃、日本語は論理的でないということを非常に説得力をもって論じた文章を何かで読んだことがありますが、今考えてみると、その文章は日本語が論理的でないということを日本語で論証することによって、自分の主張を否定していました。クレタ人は嘘つきであるということをクレタ人が言うくらい矛盾した文章でした。
をを、いわゆる「何でもつきとおす矛と何でも防ぐ楯」(笑) そういうのを論じる時こそ、あいまいにせねばならないのに^−^;
>言葉の美しさは、人間が本能的に求めているものだと思います。だから、保守的な言語を美しいと考える人から見れば崩れた言葉に見える若者言葉でも、若者たちはその中で美しさを求めているはずです。そしてそれは、若者たちが成熟していくにつれて、徐々に洗練され深みを持ってくる。そしてその若者たちは、その後の若者たちの若々しい言葉をまた偏見の目で見始める。^^
この「美しさ」っていうのは…本当、何なんでせうね。 私が大学にいた頃、よく「フランス語と中国語はキレイ」とか、「○○語(←あえて名は秘す(笑))は響きが汚い」とか言われていましたが、 一体その基準は何なのか、そしてそれは全国共通なのかと考えてしまうのです。 そうではなく、それはその人のシュミだとしか今の私には思えません 若者と壮年層の「言葉の美しさ」のイデアが違うのもそれと同じと私は考えています。
>ホームページの文体には、いろいろなスタイルがありますが、論じているものや、説明しているものや、おしゃべりしているものなどが目に付くようです。私がうろうろしているサイト群には、論士とその亜流が多いようです。私はどのタイプかというと、多分、説明者の亜流とでも言ったらいいでしょう。いつか説明の名手になりたいと願っています。そのためには勉強しなければ……。(汗)
やはり、類は友を呼ぶ式になるんですね(笑) 私がいくところは「つぶやき系」「シュミ系」「日記系」が多いので… ハッ、こりゃあ私のホームページとおんなじ系統じゃん(笑) 私はそれでは、おちゃらけた文章の名手に…な、なれるのだらうか^−^;
>鋭い質問ですね。私の考えでは、「大人」といえる不定型の集団があり、また「若者」といえる不定型の集団があるのだと思います。それは境界があるわけではなく、その典型と、典型に近いもの、典型からかなり離れているもの、どちらとも言えないものといったような、線上にあるものです。
その集団に入るか否かの判断はどうやら実年齢よりも精神年齢のほうが大きく関係しそうですね…うーむ。
>同僚の先生で大阪に長年住んでいた人が話してくれたのですが、東京に行ったとき、大坂弁を使うとかなり冷たい反応があったが、一応標準語を使うと大丈夫だったということです。「東京の人は大坂弁を嫌うのよね」と言っていました。この話を一般化して受け入れるのは問題があると思いますが、その先生の話によると、友達も同じことを経験しているとのことです。私の考えでは、これが東京人の一般的な態度とは思えませんが、一部にそういう人が分布しているということは事実なのでしょう。
大阪における東京弁もそうなのかもしれません。 まあ、「転校生の試練」ともいえますが… 原田ムネノリ(←漢字失念^−^;)のエッセイの中にも、 引っ越した先で東京弁しゃべったら、教師に 「原田君、かっこいい言葉しゃべるがー、ええがええがー!」と はやされ、むかっ腹たった みたいなことがかかれていました。 やはり自分のもつ言語体系以外の音声は同じ日本語だろうと「異言語」としか 最初のうちは認識できないのでせう。 ただ、やっぱりテレビなどの影響、そして標準語というスタンスから 東京弁がでかいツラしているのは間違いないでせう (ずっと昔の、方言札事件とかでもわかりますが…)
>うん、あれは本当に独特ですよね。ああいう一つのサイトの中で言語が形成されるというのがとても不思議でした。「スレちがい」は、傑作だと思います。「あげ」なんて、使ってみたいけど、意味がわからない(笑)。 > >ただ、あそこは狂乱した書き込みが多いのが気味悪くて、とてもいい情報や知識があるにもかかわらず、4〜5回入ったきり、あとは検索語で必要な情報を見つけて訪問するくらいです。
もはやそのサイトの垣根すらこえ、半ば公認のネット用語と化した言葉もありますからね。 私もあのサイトは怖くてよくいきませんが、それでも「スレ違い」「厨房」「逝ってよし」などはわかります。 「あげ」は、たぶん…「投稿して、そのスレッドを更新しておく」という意味かと。 いや、よくわかりませんが(笑)
でわでわ! ゆどうふ。
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