>ゆどうふさま、こにちは。ijustatusです。(ちょっとラテン語っぽく書いてみました)
ぬ、では、 ijustatus(読み方は「イジュスタートゥス」となりますな(笑))さまこにちわ、yudouhu...あー、できなかった(笑)
>で、なぜラテン語なんかを選んだのかというと、そこにはいくつかの野心があるのです。まず、英語はラテン語の影響を直接・間接的に非常に強く受けています。特に、知的な語彙になるほど、ラテン語の影響が多いのです(学術的な用語にはギリシャ語の影響が多いけれど……)。ラテン語を知り、その文脈に触れられるようになったら、英語の文脈の原形をそこに知ることができるだろうという見積もりです。
学術的な語彙ということですか?やはり、昔の教育のせいでせうか。 日本語でも、難しい言葉はほとんど漢語ですものね。
>また、もうひとつの野心は、現代ラテン語であるイタリア語やスペイン語、ポルトガル語、フランス語などに対する野心です。この野心はギリシャ語との付き合いの中で芽生えました。古典ギリシャ語と現代ギリシャ語とはかなりの隔たりはありますが、多くは文法の単純化や融合などで、現代ギリシャ語の規則は、古典ギリシャ語の知識から類推できることがよくあります。語彙もよく似ています。この2千年もの間にほとんど、または全く形を変えなかった単語もたくさんあるのです。だから、現代ギリシャ語の学習は、文法の説明をまともに受けなくても、大まかな点は理解できました。ということは、ラテン語の知識があれば、英語のみならず、それ以上に、ラテン系の現代語を理解し身に付けるのが容易になることが予想できます。
思いっきり「ラテン語」系のやつだと、特にそうかもしれません。 フランス語やイタリア語の中には、 「ヘイお前、ラテン語のあれと響きが似てるじゃんかヨぅ」というような 単語が数多くあります。 中学生の時衝動買いした、謎の辞典 「8ヶ国語ネーミング辞典」でみると、 フラ語・イタ語とラテン語で似たような綴りの語彙がかかれていた欄が多かったです。
>英語の学習書でラテン語を勉強するのは、日本語で勉強するのとは違ったメリットがあります。それは、互いの言語に共通する部分が多いので、日本語から入る場合には大変な努力を要する部分が、英語から入るとかなり楽になると言うことです。数年前、アメリカの大学で日本語を履修しているが、難しくて理解できないという大学生から、ちょっと手ほどきをしてほしいと頼まれたことがありました。彼の持っていた日本語の教材は、とてもいい本でしたが、英語での説明が難しいらしく、彼はほとんど理解できなかったのです。助詞が全く分からないと言います。それで、日本語の助詞が韓国語のどんな助詞に当るかを説明してあげたら、あまりに簡単なので、目をまん丸くして、口を開けて驚いていました。動詞の変化も韓国語で解説してあげたら、あまりに単純なので、「日本語ってこんなに簡単だったんですねえ」と言って、喜んで帰って行きました。ラテン語を英語で勉強すると、彼と同じような経験ができるような感じがします。
ああ、思い切り理解できる気がします(笑) それは逆に、日本人が「be動詞…『〜は〜である』ってなんじゃい!うぎゃー!」となるのと まったく同じだと思います。 自らがすでに構築した文法の構造と比較対照したとき、それに当てはまるものがないとき その新しい構造を理解、記憶するのには強烈な情報処理能力が必要とされますから。 だから、ヨーロッパ圏の人が、 「英語なんてちょろいじゃん」 とか軽軽しく書いてるのを見ると、 「キサマ、表に出ろ」とか思ってしまったりします(笑) その人たちは「日本語の文法やってらんねーよ」となりそうなものですが (ただし、これは書き言葉においてのみ言えることかも。しゃべり言葉なら、現地に放り込めば誰でもたいてい適応するみたいですから)
>また、ギリシャ語を初めにやってからラテン語を勉強すると、ラテン語の格変化はギリシャ語と非常に形が似ているので、読解練習の単文を読むとき、部分的にはギリシャ語のノリで理解できるのです。語順が至って自由なのはギリシャ語と同じですから(ギリシャ語よりはスッキリしている感じがしますが)、その部分でも抵抗がありません。こういうのを“相乗効果”と言うんでしょうね。もちろん、単語を覚えなければならない大変さはありますが、文法がとても易しく感じられるのです。さらに、ラテン語の文法は、古典ギリシャ語に比べてとても整然とした印象があります。語幹に語尾だけ付けていけばいいようです。ギリシャ語は、英語で言えば go - went
のように語幹が入れ代わってしまう語が大量にあるのですが、ラテン語にはそういう単語はいくつもなさそうです(実はたくさんあったりして……^^;)。
あんまりなかったような気がします。 でも、格がいっぱいある上に、変化がややっこしいです。 欧米の文学で「ラテン語授業に苦しむ子ども」(いちばん有名なのはヘッセの「車輪の下」でせうか…うろおぼえ。)という図が でてくるの、わかる気がします。 日本でいえば「古典嫌い」か…ありおりはべりいまそがり。
>なお、“LATIN,
An Introductory Course Based on Ancient
Authors”のとてもいい点は、単純な羅文英訳演習のあとに、キケローやセネカなどが書いた、実際のラテン語著作物から取った例文をいくつも載せていることです。これが本当に素晴らしいのです。言葉が生きて呼吸をしているということを、本当によく見せてくれています。しかも、この教材の著者の手腕だと思いますが、ラテン語を始めて間もない人が、その妙味を味わえるのです!
この妙味は、ラテン語文を音読し、また、目を離してそらで言ってみることで味わえます。
こういうページがあります↓ 気に入られるかもしれません。 http://www.kitashirakawa.jp/~taro/latin15.html 少なくとも、「格言・名言好き」の私は、大好きです(笑)
>英語の教材の名著として、けっこう多くの人たちが『和文英訳の修行』を挙げています。不幸にも私はその教材を持っていません。だから、比較することはできないのですが、この“LATIN”という学習書は、『和文英訳の修行』にも匹敵するような、ラテン語教材版の名著なのではないかと思います。 > >というわけで、何やら訳の分からない方法で英語を勉強している
ijustat
でした。
へえ、そんな本があるのですか? 古本屋で探してみようかな…今教員採用試験の勉強してるんですが 英語の勉強はどうしていいものか、迷っていたのです。 さっそく探してみます^^
でわでわ! ゆどうふ。
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