1294   Re^2:残酷なテーゼについて、ちょっと考えた。〜外国語
2003/03/14 22:14:55  yudouhu   (参照数 24)

ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。
レポートがむばってくださいね!ふぁいとです^−^

>10年も前にそういう話が出ていたんですねえ。知りませんでした。なぜでしょうか、日本語教育関係の本には、この「外国語効果」に関する言及はないようです。ところで、Takano&Noda(1993)のタイトルを教えてくださればさいわいです。

A temporary decline of thinking ability during foreign language processing(Journal of Cross-sultural Psycologyという雑誌の24号445Pから)
だそうです。
これ雑誌みたいですね。

>はじめこの説明を読んだとき、『外国語習得のスキル』(研究社出版)に出て来た“情報理論”(p.153-155)のことかもしれないと思いました。情報理論というのは、聞き取りの指導でいちばん問題になるものですが、不慣れな外国語を聞き取るとき、頭の中で処理しなければならない情報量が増えてしまうため、長い発話を記憶できず、ある程度聞いたらすぐにパンクしてしまうのです。逆に言えば、熟達した外国語では、処理すべき情報は、話の内容だけになるので、それだけ記憶しやすいわけです。
>
>しかし、どうやら外国語効果というのは、そのように情報量がパンクした状態で、脳の知的な活動が退行してしまう現象のようですね。一種のパニック状態かも知れません。パニックのときには、ごく日常的で簡単な処理もできなくなってしまいますから。(推測で書いています。高野先生がご覧になったら嘆くかもしれない。)

多分似たようなことだと思います…
(ところで、この本リヴァースって言う方が書いてませんか?なんか読んだ記憶が…)
この実験で使われた課題とは、
「あちらこちらをむいた似たような図形の中から、一つだけ違うのを選ぶ」
というような、非言語的な課題だったそうです
で、その指示が外国語で出されるときに成績が落ちる、と…
消して問題文の意味が理解できなかったのではなく、外国語を処理するのにいっぱいいっぱいだったから
こうなった、というように考えるようですね。

>そうですね。この外国語効果のために、東洋圏の留学生より、西洋圏の留学生の方が頭が鈍いように見てしまいやすいものです。また、日本語教師や韓国語教師の中には、学生を子供のように扱ってしまいやすい。これは、外国人たちが、教室の中で外国語効果を起こしているからだと思います。

やっぱり韓国では西洋語母語話者のほうが外国語効果がはっきり出るんですね。
一番それをよくわかっている先生ですらもそう見てしまう傾向があるとは…うーむむずかしい。

>でも、ドイツの人の前でドイツ語を用いるときにそういう知的対抗現象が自分に起こったからといって、小さくなる必要はありません。むしろ堂々と間違え、堂々とデタラメを言った方がいいと思いますよ。そして、分からないときには分からないと明言する。私の推測では、多分ドイツの人は“理解できません”と言われても、怒らずに自分の意志が相手に通じるまで話してくれるのではと思いますが、どうでしょうか。

ああ、こんなこと書いていいものかと思いますが…
やっぱりそれは、「外国語で血ヘドはいた」ことある人じゃないと無理かと思われます
(それゆえに、現在のような英語のみが重要視されている状態は危険ではないかと思います…
特に、この「血ヘド体験」を知らないままコミュニケーションをとろうとする英語母語話者の人が、無意識に人を傷つけるのではないかと)
あと、またこんなこと書いていいものかと思っちゃうのですが、
「話者の母語がたどった、現在までの歴史」によって、こう思う人と思わない人がいると思うのです。
英語などヨーロッパ系の言語は「列強」時代から、ずっと強者だった国をバックグラウンドに持っていますよね。
それゆえに、「お前らが俺たちの言語を学ぶべきだろ。それが下手だって?笑っちゃうぜ」ってな態度が下手をすれば出てきてしまうのでは、と思います
(もちろん、「血ヘド」吐いてりゃそんなことはないでせうが)

>本当に、スッポコポンなネイティブ教師ですね。でも、これは人間の本質的な性質だと思います。日本語教師も外国人に対してそうなりやすいんです。それはもちろん、とんでもない錯覚です。私にとってはそれは反面教師として十分自分を警戒する道具となっています。

この「性質」について、面白い文献を手に入れました。
ですが今は時間がないのでかけません…また書きまする。^−^;

>ところでこの外国語効果ですが、例えば、すでにいくつかの言語を駆使して、新しい言語を難なく習得していく人には起こるだろうかという疑問があります。なぜなら、そういう人は、どの言語でも大体よく出てくるスクリプトをすでに持っていて、その部分では、言語自体の処理は不完全でも、スクリプトによって状況を処理できるから、全体的な情報処理の量はかなり少ないのではないかと思うからです。ほら、言葉はよくできないのに意思疎通はことのほか巧みな人っているじゃないですか。

そうですね、その辺はどうなんでせうか…
理屈からいったら、やることがわかっている分情報処理量が少なくなるはずですよね。
うーむ、これは難しいですな…こういうこと実験した人、いるんでせうか。

>私の考えでは、蔑視に強くなる方が、蔑視されないように神経を使うよりも得策だと思います。なぜなら、相手が私を見下したら私の方が弱くなるわけではないからです。しばらく付き合っていれば、相手も分かって来るし、もし分からないようなら、その人は本当にスッポコポンです。私たちの方がかえってその人を憐れんであげるべきでしょう。

そうなんですよね…ただ、問題なのは、
そのことを理解できている人には…例えば私とかijustatさんとか…その覚悟はできても
初学者にそれをわからせるのは無理っぽいということですよね
事実、「英語なんて/外国語なんて私はなせない…」とかいう人が
この「蔑視」待遇を受けた場合、おそらくその人一生外国語勉強しないんじゃないでせうか
誰だって傷つきたくはないですもんね…
そういう学習者のデリケートな気持ちをわかった上でつき合うネイティブがどれだけいるか?
そのへんちょっと、気になります。

でわでわ!
ゆどうふ。