ごきげんようです皆様!ゆどうふです。 卒業を控え、最近は「大学の図書館が使えるうちに使ったれ」との根性から 外国語教育や学習心理学の本を読み漁っております。 今日はその中から、「外国語効果」というものについて書きたいと思います。
「外国語効果(Takano&Noda,
1993)」というのは、 「不慣れな外国語を使っている最中は、その外国語を使うのが難しいだけでなく、 思考力も一時的に低下するという現象」 です。 人間の情報処理能力には限界があるため、 不慣れな外国語(つまり、情報処理が大変)を使っている間は、 ほかのことを考えられるだけの情報処理の余裕がなくなるためおきると考えられています。 言語処理と思考では言語処理のほうが優先されるため、 思考力のほうが落ちちゃうというわけです (何故なら、相手の言うことを理解しないと適切な答えは考えられないので)。 これが母語の場合は「使うのに超慣れてる」ため、情報処理にそんなに苦労しません。 情報処理に使う量が少なくてすむのです。 というわけで、思考力の低下が目に見えておきるというようなことはないわけです。 対して外国語だと、どうしても母語使用時に比べて思考力が相対的に低下してしまう。 これが「外国語効果」です。
これは「外国語を使うのが難しい」というのは別問題で、 「外国語を使っている間、一時的に思考力が落ちる」ということです (つまり、その外国語に習熟すれば外国語効果は消失します)。
また、使われる外国語が母語と似ていなければ似ていないだけ、 外国語効果は大きくなります。これは習得困難度があがるためです。 日本人とドイツ人を被験者として、英語に対する外国語効果をはかった実験では、 英語と似ていない日本語を母語とする日本人のほうが 外国語効果がはっきり大きくでたそうです(Takano&Noda,
1995)。
何故こんな現象の事を書いたか? これは、次にあげる話のことを考えてみてほしかったからです。
私はドイツ語専攻です。 でも、どもります。ラリってます。 (それどころか、日本語でもどもるぜヒャッホー!(笑)) ところで、私はコンピュータが好きです。今度、基本情報の試験にチャレンジします。 では、ここで質問です。
私がコンピュータについて語るとき、 その言葉が非常につたなく、幼く、不明瞭で不明確で ドイツ語としてぼろぼろだったとき、 それをしゃべっている私は「コンピュータについてうまく語れないバカな人間」だと思いますか?
「そんなことない」とすぐ答えが出るべきなのですが、現実は案外残酷です。 多分私は「バカじゃない?」って思われる可能性が高いです。 「外国語効果」のせいで、外国語を使っている人の知的能力が 過小評価される傾向が残念ながら見られるのです。 もちろん外国語の使用には知的な能力は要りますが、 それだけではかれるもんじゃありません知性は。
大学の授業で、「日本の学生はぜんぜん(外国語…多くの場合は英語ですが) しゃべれない!本当にあの程度のレベルでどうして大学に入ってこれるんだ!」 というような スッポコポンな勘違いをするネイティブの教師の人も、残念ながらいます。 「外国語効果」というこの現象が問い掛けているものはその点で重いと思います… このことを知らないで、外国語をしゃべろうとする学習者さんにあたろうとすると 一番残酷な反応…(その相手に対する)蔑視 というものが容易に生まれるからです (ただでさえ、「外国語をペラペラしゃべれる=頭いい」というような 素朴な公式が世間に流布しているというのに)。
外国語を使う上で、いきなり「ペラペラ」になれるわけがないという現実を見たとき、 この「外国語効果」に立ち向かわなければならない時期はかなり長く続くでせう。 この現象のこと、頭においておかれるときっと役立つと思います。 自分が「外国語をしゃべる側」になるときも、 「外国語をしゃべる人の話を聞く側」になるときも。
でわでわ。
ゆどうふ。
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