こにちは、ゆどうふさま。ijustatです。
>さて、以前言っていた「関口存男の生涯と業績」から、外国語学習について面白げな部分を紹介です。
興味深く何度も読ませていただきました。こういう勉強法を私がもし若い頃に知っていて、しかもそれに強く影響を受けていて、さらに私の両親も理解していたなら、自分の人生はまったく違ったものになっていただろうということを、しみじみと感じました。
>ちなみに、この方は「ドイツへいったことないのにドイツ語ができた」という、私が個人的に見習いたい方です。
外国へ行かなくても方法さえまちがわずしっかり努力するなら、その外国語は必ずできるようになるというのが、私が韓国語の勉強を始めたときに勝手に立てた仮説でした。実際には私の韓国語歴はそれを証明してくれませんでしたが、非凡な人ならきっと関口先生のようにそれを立派に証明してくれると思います。
>最初に何にくらいついたか…レクラム叢書( >というドイツ語の本があるそうです。岩波文庫みたいなものでせうか)の「罪と罰」を、 >ちっともわからないけれど、「わかろう、わかろう」とおもって片っ端から辞書を引いて読んでいった >→すると、おしまい頃には「わかりだした」 >(話の筋はわかるのだけど、文章の構造とかはそのときはわからなかったそう)
レクラム文庫は新宿の紀伊国屋で見たことがあります。大学生の頃、こういうものが将来読めるようになりたいなあ、なんて夢を描いたことがありました。でも、夢に終わりました。韓国ではキョボ文庫の外国書籍コーナーにレクラム文庫が置いてあります。黄色い表紙だからすぐ分かると思います。
>濫読(流読)のこつ:1、少々わからなくてもそんなことはあまり気にするな >2、わからないところはある程度そのまんまにしておいて先を読んでいけ >3、いろんなつまらない反省を完全として退け、完全に馬鹿になりきること(笑)
濫読にもコツがあるなんて、学生時代には習いませんでした。私たちは英語の先生から“濫読”と称する精読をさせられましたから。教師は老婆心でついつい学生に精読を押し付けてしまうものですが、老婆心は人を生かさないこともあるんですよね。
>「こんなことやって無駄なんじゃないだろうか」とか、そういう反省をするな、ということだそうです。
いやあ、強烈ですね。私たちが学習のなかばで挫折する大きな理由に、この疑いの念があると思います。それをピシャッとシャットアウトしているところがこの人の非凡さを表していますね。
>暗記について…いい文を見つけたらすぐその場で覚える努力をする
私もやってはいるけれど、すぐ忘れます。きれいさっぱり!(笑) しかし、中国の留学生から、暗記は朝やるものという話を聞いてから、勉強と生活習慣との関係を考えて、反省しています。
>『ことに強調して申し上げたいのは、実際語学というものは、 >すでに書物が十分読めるようになってさえいれば、まことにわけもないものだというこの一点です。』
こういうことが言えるのは、すごいことですよね。しかし私は古文に関しては、全くその通りだと思っています。しかし、書物が読めるための語学ではなくて、書物が読めるようになってからの語学とは恐れ入りました。
>『また、面白いと思って赤線を引いておいた文句を(…) >静かに読み直し深く考えながら味わっていると、 >今までぜんぜん注目しなかった一大世界が眼前に開け始め、 >便所の壁が二つに割れて無限の楽園の前に安座したような >うれしい気持ちに見舞われることもあります。』
すごい比喩ですね。しかし、とてもいい考えだと思います。私も実行してみようか。
>…この人、トイレの話で4ページも使ってる(笑) >しかもこのあと、こともあろうに「アウトドア・トイレ(要するに屋外のトイレじゃないところで用を足すこと。本当は漢字2語で表現されていますが、私ヤダよそんな単語打つの^−^;)」についてまで(笑)
私も読んでみたいですね。この本の出版写はどこなんでしょうか。(あ、いや、Yahoo!
JAPANで検索すればいいことですよね。失礼……)
>ちなみに、この本大学図書館で借りたんですが、引用文のところに線が引いてありました…って、ヲイ^−^;;
あまりにも感激したために、借りた本であることを忘れて線を引いてしまったのでは……。
ijustatでした。
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