こにちわ、ゆどうふです! レポートも全部終わり、後はテストを一つ残すのみ。 「ああ、大学生活ももう終わりなんだなあ」ということを身にしみて実感しています。
さて、以前言っていた「関口存男の生涯と業績」から、外国語学習について面白げな部分を紹介です。 この本は基本的に、関口氏の思い出話が集められた本なのですが そのほかにも彼自身の青年時代の日記、手紙、劇作、エッセイなどが収められています。そのなかでも、昭和24年雑誌の連載として書かれた 「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?」がイカシていました。 これは関口氏のドイツ語学習法や歴史がかかれているエッセイです。 幼年学校時代からドイツ語をはじめた関口氏のこのエッセイ、表現もさることながらその取り組み方が面白い。 ちなみに、この方は「ドイツへいったことないのにドイツ語ができた」という、私が個人的に見習いたい方です。
面白かったところ抜粋(『』は引用文です)↓ 最初に何にくらいついたか…レクラム叢書( というドイツ語の本があるそうです。岩波文庫みたいなものでせうか)の「罪と罰」を、 ちっともわからないけれど、「わかろう、わかろう」とおもって片っ端から辞書を引いて読んでいった →すると、おしまい頃には「わかりだした」 (話の筋はわかるのだけど、文章の構造とかはそのときはわからなかったそう)
グレートですね。 私だったらいきなり日本語訳の「罪と罰」買ってつき合わせながら読みます (今、Harry
Potterでそれやってます<英・独>)。
精読と濫読(流読)…濫読(流読)のほうをとる。精読の方が意思強固でないと難しい (精読は、ドイツ語教師になったときに必要上から行われたそうです) 濫読(流読)のこつ:1、少々わからなくてもそんなことはあまり気にするな 2、わからないところはある程度そのまんまにしておいて先を読んでいけ 3、いろんなつまらない反省を完全として退け、完全に馬鹿になりきること(笑)
要するに一語一語にこだわって読むよりは、全体を取るという奴ですね。 ゲシュタルト何とかとかいった考えと似ているかもしれません。 確かに、趣味に近い勉強で、単語一語一語の訳にこだわるのはしんどいですからね。 ちなみに、濫読のコツの「3、(…)」とは、 「こんなことやって無駄なんじゃないだろうか」とか、そういう反省をするな、ということだそうです。 『「方法によしあしはない、よい方法を不徹底にやるよりは、 悪い方法を徹底してやるほうが、結局最後の意味においてはそれがよい方法なのだ」と いう風に考えるべきです。』
暗記について…いい文を見つけたらすぐその場で覚える努力をする
そらで言えるように、ということだそうです。記憶トレーニング。
フランス語を勉強する…はじめはちっともわからなかったが、 そのうちすーっとわかるようになった。これはみっちり書物で勉強していたからだ。 『ことに強調して申し上げたいのは、実際語学というものは、 すでに書物が十分読めるようになってさえいれば、まことにわけもないものだというこの一点です。』
これに関してはなかなか難しいですね。 なぜなら、今の外国語学習は、存男ちゃんの方法のまったく逆をいっていますから。 ただ、だからといって、現代の方法で「旅行会話」「社交会話」以上の レベルのコミュニケーションが取れるか、それは私には何ともいえません。^−^;
時間の利用…寸暇の利用が大事 トイレで「本を読んだとき、面白いと思って線をつけておいたところ」 「どうしてもわからなくて長い間考えた個所」を考える(本をトイレに持ち込む) 『また、面白いと思って赤線を引いておいた文句を(…) 静かに読み直し深く考えながら味わっていると、 今までぜんぜん注目しなかった一大世界が眼前に開け始め、 便所の壁が二つに割れて無限の楽園の前に安座したような うれしい気持ちに見舞われることもあります。』
…この人、トイレの話で4ページも使ってる(笑) しかもこのあと、こともあろうに「アウトドア・トイレ(要するに屋外のトイレじゃないところで用を足すこと。本当は漢字2語で表現されていますが、私ヤダよそんな単語打つの^−^;)」についてまで(笑) でもまあ、トイレに暗記物の紙を張ったりするのは受験生の常套手段ですよね。 高校のとき、友人の家のトイレが「暗記要塞」で驚きました。 ちなみに、この本大学図書館で借りたんですが、引用文のところに線が引いてありました…って、ヲイ^−^;;
「PhilologieとLinguistik」という語学に関する面白い対比をした章もありましたが、これは長いのでまた後の機会に^^
でわでわ!
ゆどうふ。
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