1248   Re^9:理解と暗記
2002/11/03 9:59:52  yudouhu   (参照数 20)
これは 1244 [理解と暗記] への返信です

ijustatさんこにちわ!ゆどうふです。

>記憶することは、理解のための根拠を多く持つために必要なことです。だから、理解が重要であるということは、否定することはできません。理解していない膨大な知識を有しているというのは、悲劇です。
>
>ところが、理解力を深めるためには、それだけ多くの知識も必要になるのです。それは、学習するしかない。特に言語の場合は、“こういう概念がある”と覚えていただけではだめで、その概念を表す記号も一緒に覚えていなければなりません。そこで、暗記が必要になるわけです。

実際問題として、文法は骨組みにしか過ぎませんしね。
そこを埋める単語や知識…
私はそれを(ゲーマーらしく)「経験値」と呼んでいますが…
これが少なすぎるのが、外国語学習者のぶちあたる、二番目か三番目の壁ではないかと踏んでます。英語を学び始めた中学一年生時代、英語の先生に「例文を覚えろ」と
何度も言われた記憶があります。
きっと、こういうことをおっしゃりたかったのでは、と思っています…
どうなんですか、H先生(笑)

>もともと鋭利な理解力と、優れた記憶力がある人にとっては、いずれも論ずるに値しませんが、私たちは、記憶力はともかくとして、理解力はかなり鈍いものです。だから、おおまかにそれが何であるかは見当がついても、その深い意味については、すぐには理解できないことが多いのです。特に外国語の語彙・表現の意味は、辞書の訳語では理解しにくいものです。ときどき、理解できると反論する人がいますが、その人は、その外国語の意味を錯覚しながら使っているのです。理解力は、自分の頭が空っぽでは、強化されません。

ガーン(笑)
なんと、理解力ってもろいものだったのですね^−^;
…確かに、昔覚えた事をまったく逆の意味で解釈しなおすという事ができるのも
理解力がそのときの状況や自分の能力に影響されやすい、ということを示しているのかもしれません。

>しかし、ある程度のまとまった段落を丸暗記してしまうと、状況は変化します。忘れかけていた文法規則が、その文の中の1例に引っかかって、そこにペタペタとくっ付くようにして、思い出されるようになるのです。よく思い出されなかったとしても、他の用例の記憶が互いにつながり合って、ある態や法での人称変化などが、はっきりして来るのです。

ネットワークが記憶間に張られる、ということですね。
本当に、そのニューロンとニューロンの間にシナプスが張っているのかもしれませんね
で、「ギリシア語ネット」の網の目が濃くなって、情報流通量が飛躍的に増大する…
うむうむ、この辺のこと、今度神経言語学の本かなんか借りてきて読んでみませうかしら^^

>さらに、暗記した文中にある語の構成要素が、他の語との対比で解ってきて、さらに、各構成要素の意味が、徐々に明らかになってきます。そのようにして、初めは日本語の対訳を見ても皆目見当がつかなかったものが、対訳を見れば、何とか理解できるようになってきます。これは、大きな発展です。そのために、「豊かな語形変化を持つタイプの言語では、動詞も人称や数や時制で変化することが多いので、日本語では簡単な文も、正確に話すのはなかなか容易ではない。そこで、このような言語の学習書では『文を暗記せよ』とよくいわれ、単語と変化形式と語の組合わせの規則を同時に学習することが勧められていて、古典語といわれるラテン語や古代ギリシャ語はその代表的な言語である」(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.166)というアドバイスがなされるわけです。

もしかして、「私ィ、日本にいるときは語学なんてぜんぜんできなかったけどぉ、
海外留学したら?(←半疑問系。しり上がりで読む^-^;)、簡単にィ、そのうちィ、はなせるようになったってゆうかあ、
やっぱり?日本でやったってダメぇ、海外いったら、最初はダメでも、そのうちわかるようになるよォ」とかいうのも、
この「いろいろな事を覚えるうち、徐々に知識がつながっていく」ということにかかわっているのでせうか。
そりゃあ情報のインプットが違うもんな、一気に暗記量もたまってぱあっと発展するよな…
どうでもいいですが、↑のような文章、自分で書いててちょっと腹立ちました^-^;

>さて、私の先生たちの問題点は、この重要な“理解”を重視するあまり、それを支える“暗記”を、理解に対立するものとして、軽視したことにあります。暗記は、理解のライバルではなく、理解という家の執事です。
>
>外国語を学習する際には、細部においては理解できないところが出てきます。そこにこだわらずに、まずその文章(段落や連段落のこと)を覚えてしまうことが、かえってこだわる人よりも早く、その部分を体得させてくれるのです。

「わからない部分は放っておくか、それともこだわるか?」これは能率という面からいくと
やはり放っておいて、後から見たほうが早いでせうね。
他の場所から得た知識で、解釈していく事ができるようになるかもしれないからです。
これはしかし、各人の学習スタイルのほうにむしろかかわっているかもしれません
なんかの本か忘れましたが、
「先生がこの語学をモノにした秘訣は」と誰かに聞かれて、
「謎に思ったことをそのままにしないで考えつづけた事だ」とか答えた人の話を以前読みました。
まあ、それはその人のやり方でせう…でも、多分私には向いてない^-^;
15分以上一つの事に集中して考えると、頭くらくらするんで…^−^;;

でわでわ!
ゆどうふ。