1179   現代ギリシャ語
2002/08/31 0:12:52  ijustat   (参照数 25)
ゆどうふさま、こにちは。ijustatです。

なんと、いまギリシャの人からギリシャ語を習っているのです。それも、アテネから来た人で、ギリシャ正教の神父さんなのです。

どうしてそういうことになったかというと、今まで一人で古典ギリシャ語を勉強して、新約聖書を読んできたのですが、一人なので、耳に残る印象がなく、聖書を読みながらも、文法をどんどん忘れていってしまうのです。時々変化表を復習するという嫌な作業をしても、また忘れます。これではたまらないので、音声教材のある現代ギリシャ語を勉強し直してから、もういちど古典ギリシャ語に帰ろうと思っていたのでした。

それで、同僚の韓国語の先生に、ひょっとしてギリシャから来た人がいたら、紹介してもらえませんかと頼んだら、ギリシャから来ている神父さんがいるので、紹介してあげるということになったのでした。

その人は、私も見たことのある人で、その黒い服装と、ユダヤ人のかぶるような黒くて丸い帽子と、板垣退助のような鬚との風貌から、イスラム教の聖職者かと思っていました。しかし、その人がキリスト教だと聞いて、そういうキリスト教もあるのかと、驚きました。

当初私がその人に聞きたかった質問は二つだけでした。一つは、古典ギリシャ語の「私たち(ヘーミーン)」と「あなたがた(ヒューミーン)」が、現代ギリシャ語の発音規則では同じ「イミン」になってしまうのだが、古典語を読むときに、発音上区別する方法はあるのかということと、「息子(フィオス)」の綴りは現代ギリシャ語ではどう発音されるのかということでした。

その答えは、やっぱり「イミン」を区別しないという、失望させるものでした。また、「息子」は「イオス」と発音するのだそうです。

ところで、その神父さんは、私が現代ギリシャ語に関心があることと、聖書に関心があることを気に入ってくれたのか、また会おうと言ってくれました。それからまた会って、あれこれたどたどしい英語で話しながら、今度から、一日に一言ずつギリシャ語の表現を教えてあげようと言ってくれました。

2度目に会ったとき、私がその神父さんに、1週間に1度、聖書から1段落を読んでくだされば、私がそれを録音して、次の週までに暗誦してきますと申し出てみました。そして、最初に、マタイの福音書の5章1〜12節を読んでもらい、MDに録音しました。それを、車で移動する時間を利用して100回ぐらい聞いて、そっくりに言えるように真似し、家では原文をよく読んで、口で滑らかに言えるまで繰り返しました。

そしてそれを覚え、次の週に暗誦したら、「シンハリティーリア!(=おめでとう!)」と言って、とても喜んでくれました。そして今度は、マタイの福音書9章18〜22節を読んでくれました。それを今日また暗誦したら、今度は私の手を握って、すごいとほめてくれました。私はそんなに学生をほめたことがなかったので、これからは、この人のようにどんどんほめなければと、反省しました。今日は、第1コリント13章1〜8節を読んでくれました。

というわけで、現代ギリシャ語と古典ギリシャ語がごちゃまぜになった授業(?)をしているわけです。私の言葉もごちゃまぜです。それでも神父さんは神経質なことを言いませんでした。

だんだん解ってきたのですが、どうやら現代ギリシャ語は、古典語(=純粋語)と現代語(=民衆語)とが混ざっているようです。いろいろな参考書などによると、話すときにはどうやら現代語だけを使うようですが、今でも古典語は生きているようです。

私はこの勉強を、シュリーマンの学習方法を思い出しながら、やっています。シュリーマンは、34歳のときに、6ヶ月で現代ギリシャ語をマスターしたそうです。私はそんなに早くマスターできるかどうかは分かりませんが、シュリーマン式に、暗記中心でやってみたいと思っています。

同僚の韓国語の先生たちは、私が講師室でその神父さんと何やらギリシャ語で話しているので、すごいと思って見ているようですが、実際には私のお好みの表現は、“デン・カタラヴェーノ”(=わかりません)です。

そして、この神父さんは、週に一度、私に手紙をくれ、その返事を書いてくる宿題を出します。その手紙は、私のギリシャ語の理解力をこえているのですが、辞書や参考書などを引っ掻き回しながら、何とか解読し、その手紙に用いられた表現を剽窃して返事を書きます。つまり、意味はだいたい分かるけど、文法がどうなっているのか知らないまま、その表現を使ってみるわけです。こういうストラテジーが使えるのも、日本語教師をやっているおかげだなあと思いました。

渡した返事は、その場で読んでもらい、間違えたところを直してもらいます。それを、私がもらいます。そして、もらった手紙と直してもらった返事とを、あとで何度も読んで、定着作業まではしないのですが、暗記できるまで繰り返します。この暗記の作業は、聖書の暗記のように、いつまでも覚えられるように繰り返し続けることはしません。

原語聖書の読解を助ける教材は、韓国ではずいぶんたくさん、廉価で手に入るのですが、現代ギリシャ語の教材は、全然ありません。日本で買ってきたものが2冊あるのですが、一応会話になっているというだけで、実際的な状況と話題でないという点が難点です。でも、それも少しずつ覚えて行く必要があるなあと考えています。

実際、今は教材なしで、行き当たりばったりのギリシャ語会話授業をしているわけですが、いきおいキリスト教関連・聖書関連の表現がたくさん出すぎて、私のギリシャ語の実力だけでなく、英語の実力でもとうてい間に合わなくなってしまうことがよくあります。内容の有用性はともかくとして、話題のレベルも低い、会話教材を使えば、もう少し楽に話しができるかなと思います。

実は、私は今、中国語の勉強をしているので、中国語の初級が終ったら、現代ギリシャ語の勉強を始めようと思っていました。ところが、ことのなりゆきから、いま、このように現代ギリシャ語を始めることになり(こんな素晴らしい機会は今後一生なさそうだから)、さらに、大学院の総合試験があってそのうち1科目を教授に頼んでレポートにしてもらったので、頭の中はそれらのことでもいっぱいで、言語教育院の学期末なので、学生たちの成績評価にも追われたりして、けっきょく犠牲になったのが、インターネットでした。

でも、このクラブは、返事までは書けないにしても、時々入ってきては読んでいました。

ゆどうふさま、いつも有用な話題と情報をありがとうございます。

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