1086   Re^2:全体から迫るか、部分から迫るか
2002/06/17 22:28:06  yudouhu   (参照数 8)
こにちわijustatさん!腹痛でとても哀しい^−^;;ゆどうふです。

>すばらしい言葉です。ちゃんと落ち込んで、というのが、気に入りました。読めば読むほど滋味が涌いてきます。ちゃんと落ち込めば(^^)、ちゃんと立ち直る以上の素晴らしいことがあると思いますよ。

ちょっとさすがに今回のはヘビー級のショックですからねー
むしろそうしといたほうが結果的に早く回復できるような気がしたのです
いまかなり回復中です。
きゅいーん(回復している音)!

>「訳をちゃんといってほしかった」という不満は、大変な固執病ですね。これも、それまでの先生たちの教育のなせる業か。

どうやら、中学校での英語の教え方で
「文を一文ずつ番号を振り、訳していく」をいうやり方があるようで
それに慣れた生徒さんたちには私のやり方が気持ち悪くて仕方なかったようです。
彼らのノートの取り方もそうなんですが、

左ページに本文をうつす(またはコピーをはる)
右ページにその訳をつけていく

という方法をとる生徒が大半なので、
「ノートが完成しない可能性が高い(空白ができかねない…教師が訳をちゃんと言わないから)」
というのも嫌われた理由の一つらしいです。

>で、一つ一つの訳を学生が求めるというのは、一つ一つの要素がいったい何なのかが知りたいのでしょう。それは、何も訳す必要もないわけです。それぞれの語の概念は何を表すのか、それは他の語とどんな関係にあるのか。そういうことが分かればいいのですけれども、学生たちは、それは“訳”でないと自分たちには開示されないと信じている。で、一つ一つの解釈に満足してしまうと、ではそのテキストは全体として何を言いたいのかという点に関しては、考えない。こういう弊害は、今始まったわけではなくて、私よりも上の世代からすでに始まっていたようですよ。今も改善されていないのです。
>
>たぶん解釈というのは、まず部分を見ることから始まるわけですが、部分部分の意味をラフに把握しながら、自分の知っている背景知識や人生経験を総動員して全体像をつかみ、それによって、再び部分の解釈を、全体の意味からフィードバックして強化し、その強化された意味によって、全体の意味の解釈を再び深めるというプロセスを経ているのではないかと(私は勝手に)思っています。最近職場で日本人のための聖書勉強会をやっていて、マルコの福音書を読みながら、そう思いました。

テキスト全体で質問すると、結構答えが返ってこないと思います
クラスがしーんとします。
それはやっぱり、「で、結局何をいっているの、この話?」というところまで
考えが至らない生徒さんが多いのでせう
(いやー、下手したら大学生でもそうかもしれませんよ)。
国語だったらみんなできるのに、なんでかな?と思います
(よくテスト問題なんかじゃ「この文章のタイトルとしてふさわしいものを選べ」なんて問題が
でてきたりします。これは全体を捉えられないとできない問題のはずですよね?)

>全体を大まかにつかむことを重要視するのは、アメリカ人の知的態度だと思いますが、韓国人も似たようなメンタリティーを持っているようです。一方日本人は、全体よりも、とりあえず部分から検討していく。
>
>どちらも方法論としては、間違っているとはいえないと思います。どちらも部分的な態度だからです。そしてそれは、どちらも取っ掛かりなわけです。私たちは、部分をよく見たあと、それを全体の解釈にまで引き上げることで、迫力のある(?)解釈ができるようになるのではないかと思います。反対に、まず全体像をとらえたあとは、それを頼りに部分の解釈に入っていき、それをしっかりさせた上で、再び全体のより深い解釈を求めるということもできると思います。

なるほど、日本人はそういうやり方する人が多いのでせうかね、やはり…
細かい部分に着目して、それを積み上げていくとゆう。
知識の作り方でもそういうやり方を好む人が多い
(私自身もそうですが、知識の量がある程度たまってはじめて全体像がひらめくタイプです)。
本当はどっちも出来たらいいのですが。
部分→全体派(日本の人の多く)の一番の弱点は「全体まで考えない」ことでせうね
ここをなんとかしないと、せっかく覚えた部分的知識までもがすかーっと忘れられそうで怖いです。

>私の勝手な意見ですが、学生たちの志向に合わせて、まず部分的な解釈から始めるとしても、その前に、英文解釈の青写真を提示してあげたらどうでしょうか。それは、解釈の窮極の目的は、テキストの全体の意味を把握することだから、部分を解釈する時には、いつもそれを念頭に置く。そして、全体が分かるまでは、部分もよく分からないものだから、あまり突き詰めて考えず、全体がわかったのちに、部分の解釈を再検討する。それが、健全な(?)英文解釈の方法である。云々。

そうですね、両方の提示が上手くなされれば…
実は私教育実習中12、3回授業をしたのですが、
どの授業でも、授業をはじめて挨拶した後すぐ「今日の重要ポイント」なるものを
黒板の左端に書いて、ずっとそのままにしておくという方法をとっていました
例えば、やっていたリーディングのレッスンはジョンレノンとオノヨーコの話でしたが、
「ジョンとヨーコの出会い」「ジョンは二人の出会いをどう表現しているか」「関係詞非制限用法」とかいうことを書いておいたのです。
主に今日やるパラグラフの総括(全体的見方)と文法事項ですが。
これによって今日やっている訳が全体でいえばどういうことか、何処にあたるのかなーって言うのを知ってもらうつもりだったのです。
でも、授業後のアンケートでこのことに触れてくれた生徒は80数枚中一枚でした。
きーびしーい(涙)

でわでわ!
ゆどうふ。