944 Re^5:「論争
英語が公用語になる日」中公新書を読んで |
2002/02/16 22:32:35 yudouhu
(参照数 6) |
aisyaさんこにちわ!ゆどうふです。
>「民族」という言葉は時には過剰な思い入れを込めて語られますね。 >人はどの「民族」に生まれるかを自分の意志で選ぶことはできない。 >どの「民族」に属するから、ある人間が価値あるとか、優れているとか、そういうこともあるわけないのに…ね。
この問題はなんか、語りにくいですね^-^; あれですね、でも国際紛争なんかでは皆「民族」単位で処理しようとしているみたいですね、ものごとを。 「国家」を単位としてみていないというか…(難民問題とか) 逃れられない問題だからこそ、そこに優劣関係入れるのはやばいですよね^-^;
>ええ。でも例えば英語圏以外の国を2〜3日間訪問するような場合、その国の言葉で買い物等をしようとするでしょうか。 >ガイドブックにはカタカナでよく現地の言葉の説明がありますが、カタカナ発音でまともに通じる言語というのはほとんどありません。 >英語は英語圏の国民だけのものではなく、世界中で使われる媒介語なのではないのでしょうか?
リンガフランカの考えですね。 私も基本的にその立場で英語を扱っています(→どこでも通じるから便利:超実用的観点) まあ、でもまともにつうじるというか、その努力の過程とその努力している「異人さん」の 姿をむしろ私は重要視してるのかもしれません カタカナ発音は確かにヘボいですが、基礎的なフレーズ(「こんにちわ」「これいくらですか」など^^)はもちろんのこと、 状況から相手が容易に推察できるという場合も多いんじゃないかしら(←珍しく使ってみた女性的語尾^^) <例えば、店先で「異人さん」が値札のついたテレビを指差して 「ッタッカイテスヨ」とかいえば、その「ッタッカイテスヨ」自体は日本語とは思えない響きでも 「高いですよ」と値段交渉に入ろうとしているんだな、と推察できるはず> また、以前も書いたような気もしましたがこれは「異国でやさしくしてもらうための」 「処世術」のひとつともいえます 「ビビア○・スーとかチ○ーヤンは実は日本語もうペラペラだけどそれを隠して片言にしてる」とかいう 噂なんかも、この理由から推測されているのかも…^-^
>英語だけということではなく、もちろんいろいろな言語を知っていればそれにこしたことはないですね。 >それだけ多くのチャンネルを持つということですから。
ええ、よりナイスですよね^^ せっかく小学校であたらしく「総合的な学習」の時間が出来るんだから、 世界の言語を取り上げてみてもいいと思うんですけどね。 (小声で)やっぱりPTAのお母様には、「英会話」が人気らしいですよ…^−^;;
でわでわ! ゆどうふ。
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