942 Re^3:「論争
英語が公用語になる日」中公新書を読んで |
2002/02/15 15:16:32 yudouhu
(参照数 10) |
こにちわaisyaさん!ゆどうふです。
>逆に日本人とは何か、とか民族とは何か、こんな問題について深く考えるようになるのかもしれませんね。私は、正直いって、民族とは何か…ってよくわからないところがありますよ。
ですよね… 「単一民族発言」は論外としても。 どこからどこまでをその民族の範囲とするか、文化の範囲とするか… それすらも、本当はグラデーションみたいに重なり合ってるんじゃないかなあとすら思います…
>人の交流が盛んになっていけば、外国のビジネスマンが商談はおろか、買い物やタクシーにも不便を感じるような国はどんどん置いていかれるように思います。日本に来る外国人は日本語を学べ、みたいな議論をする人がいますが、何年も長期滞在するわけでもない外国人にそんなことを期待するのはどだい的外れですね。 >国際競争に遅れをとれば、ますます日本語を学ぶ外国人は減る、そうすると日本はますます国際ビジネスの場からは遠ざかる…そんな悪循環もあるのではないのでしょうか?
ちょっとだけ疑問があります。 とすると、アジア圏、アフリカ圏の人間は、ほとんど 「相手(英語母語話者)」の便宜を図るように努力しなくてはならないのでせうか。 逆に、私がアメリカに行ったら「英語話せや」ってすごまれると思うんですけど。
たとえ3日の滞在でも、 「こんにちわ」「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」の4フレーズくらいは 覚えられると思います。 それすらもあえてしないというなら、そこには何らかの意図があるのではないか、と かんぐられてもしかなたないような気が… すなわち、 「俺は英語を話す。お前らが英語を勉強して話せ」というような。 (とんでもないことですが、こういう人いるらしいですよ^−^;)
この「国際競争社会」だからこそ、私は多くの人々が「マルチリンガル化」することが 重要ではないかと考えています(英語だけじゃなくて…) それはもちろん英語母語話者にも言えることです。 その教育は学校教育+社会での教育で十分じゃないかなあと思ったりします つまり、この社会全体を 英語化 するんじゃなくて…
この問題がいろんな人の心を騒がせるのは、「恐怖心」もあると思います 「英語公用語化になったら、俺英語しゃべられへんし生きていかれへん」みたいな。 この「恐怖心」こそが問題であり、異文化コミュニケーションに邪魔なのでは? 「そうか、そんなら英語勉強して、相手にもちょっと日本語も勉強してもらって 二人三脚でいこうか」と考えられる、 つまり異文化との接触にアクティブでいられる人材を作ること。 そっちのほうが大変で、しかも大事だと思います。
マルチリンガルを進めるもう一つの理由:お互いがお互いの言語を少しでも知っていると、 たとえその相手の母語にたいする知識が少なくても、補完しあえる。 実体験です^-^;
でわでわ! ゆどうふ。
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