941 Re^2:「論争
英語が公用語になる日」中公新書を読んで |
2002/02/15 15:01:24 yudouhu
(参照数 12) |
こにちわijustatさん!ゆどうふです。
>私は、自分が今の状態で英語に公用語になられたら、本当に困ります。どこへ行っても、「あなたは英語が実用水準に達していませんね。この建物に立ち入ることは許可できません」なんて言ってシャットアウトされてしまうに違いありません。
それは…かなり困ります^−^; というより、それをやってしまってはやばいのでわー^-^;
>しかし、日本で英語が公用語になることで得られる点は大きいと思います。まず、国際的な論争に、国民一人一人がまともに晒されるに違いありません。今までは、言語のバリアがオゾン層のように国際的な価値観の嵐から国民を守っていた(?)けれども、英語を国民のほとんど全員が使用できるようになると、この嵐は容赦なく国民に吹き付けます。日本のマスコミが世論を調節しようと思っても、国民の得られる情報を操作しようと思っても無理です。そうして錯綜する知識や価値観の中から、本質を見抜く思考のできる人たちが増えてくると思います。
それはいえてますね。「オブチは冷えたピザ」発言のタイムも読めるようになれば、 違う意見をゲットできますね^-^ 様々な情報を得られるわけですから… そのために、複数語が出来て、その情報を解読できる力が必要になりますよね しかし、公用語である必要はないような気がします。 学校で学ぶ言葉、そしてそこの知識で使える言葉、で。 公用語化、となれば、 役所はその言語でも受付できなければいけない(書類も) 学校でもその言語母語話者が不自由なく授業が受けられるべきである とかいう状況が必要になるでせうし、またその状況じゃないとやってられない!という 現状をまず前提としているはずです。 日本はどう考えてもその状況ではないし… (なのになぜ一部の人々が「公用語化」を唱えるのか納得いきません^−^;) たとえば、これが日本じゃなかったら、みんなそんなこといわないような気もするのです 中国がこういうこと言うかな、とか考えても、 いわないような気がします… (学校教育として強化するとはいっても)
>私の周囲には、外国語を学んだり、外国語で生計を立てたり、外国に暮らしたりしている人たちが多いので、日本以外の価値観に日々触れている人が多いです。このクラブにしても、純粋に現代日本の、日本人の日本語による日本人のための情報の中だけで暮らしている人ではありませんよね。体は日本にあっても、外国語ができてインターネットで外国のサイトを見たり、外国人とコミュニケーとしたりすることによって、かなり違うものの見方や感じ方を知らず知らず身につけていると思います。
そういう機会が必要ですよね。異文化コミュニケーション。 なーんで日本にはそんな機会が少ないのかなーとたまに思ったりします おなじ島国のイギリスとかインドネシアはどうなんでせうね。
>しかし私は、この状況に希望を抱いています。混乱する日本語の中で、日本語に対して自覚できるようになると思います。価値観が混乱する中で、より普遍的な価値観が見えてくるでしょう。考え方のパラダイムが混乱するのは、日本の中に国際的な状況が起こるのだから、望ましいことです。日本人としてのアイデンティティーが混乱すれば、むしろ自分が日本人であることがどういうことなのかがもっと分かるようになるのではないかと思います。
日本語を深く知るためには外国語を勉強しろ、ってのはそういうことをいっているんでせうね
>私だったら、公用語になる外国語は、英語ではなく、韓国語だったらいいのにと思います。なぜなら、もう自分が使っているからという自己中心的な理由からと(汗)、日本人にとって勉強しやすいという利点。他の外国語はさておいて、韓国語の場合、新しく韓国語を勉強しはじめる人がどんどん上手になってきて、昔から韓国語ができる人たちをしのいでいます。こういう外国語は、他にはないでしょう。
をを、希望あふれるドリームですね^^ 今私ようやく「数」が十まで数えられるようになりました もっとがんばればいいとこまでいけますかね♪^−^
>英語はすでに、公用語になろうがなるまいが、私たちの生活の中へ徐々にその手を伸ばしてきています。英語の上ですいすいサーフィンしている人もいれば、英語に首根っこをつかまれている人も多いと思います。私は首根っこをつかまれて、じたばたしている部類です。
みーつー、です^−^; (そんで私は「外国語大学」の学生なので、 「あっあなた外大なの?じゃあ英語ペラペラなんだー」って一生言われます^−^; きっとこれからの就職活動でもTT) しかし、そのじたばた経験こそがまさしく「異文化コミュニケーション」ともいえなくもないでせうか 私はそう思っています ですから、生徒たちもそれに立ち向かって、様々なことを学べばいいと思っています
私が英語公用語化論の波を見て思う危惧はいつもこれに帰ってきてしまいますが、 やはりそれは「英語母語話者の増長」にいってしまいます。
バイリンガルについて調べていた時、本の中でこういう事件を見ました。
ある国際会議のさい、日本の学者が「英語で」発表したそうです すると、アメリカの学者が、その発表の内容には触れず、 今発表された「英語の表現」について意見しだした。 すると、韓国の学者が怒りだし、それをおしとどめていった。 「あなた方はなにをやっているのか。私たちは今日本の学者がどんなことを いっていたか、その内容については理解がちゃんとできた。なのにあなた方は 彼の英語について文句を述べている。それは失礼な態度だ」
ちょっと去年の夏に読んだ本なので記憶があいまいですが^-^; (英語はどんな言語か:中村敬という本です) この話の中でアメリカの学者がやっていることは明らかに失礼であり、 そして傲慢な態度です。 このような態度が英語母語話者の中に広がらないか?と心配なのです 英語公用語化によって、英語のプラスイメージが無条件に(そして無遠慮に)増大すれば、 「言語的に優位にたつと知らぬ間に高慢になる」英語母語話者を 歯噛みしながらみることになる可能性が高くならないか、と…
異文化コミュニケーションとは「双方向」であるべきだと思っています ですから、英語母語話者も「ぎょっ」とする体験が必要なのでは?と考えています 「お前らが英語を話すべきだろ」とかおもう人々が増えないために… (とくにアメリカなどは英語母語話者圏としても最大、世界のパワーゲームでも 強大なために、その傾向が強くなるのでは、と心配です) 少なくとも、「日本語しかはなせないやつらを『啓蒙』してやろう」という 見方をしてもらいたくないのです。
これは日本語母語話者にも言えることです。 東南アジアで日本語が通じるようになると、急に態度が傲慢になる人がいますから。
>あ、そうそう。今年から韓国の高校の外国語教科書が新しく変わりますが、かなり実際的なものになります。これまでの教科書の概念で作ってきたものは、全部審査で不合格になり、最終的に合格したものは、半数にも満たなかったそうです。特に、初めの審査では、20社のうち4社しか合格しませんでした。錚々たる教授たちが執筆する日本語教科書です。16社が不合格というのは、大変な事態です。このようなことになったのは、ほとんどの教材執筆者が、コミュニケーションとは何かが分かっていなかったからだと思います。私はそのうち1社の日本語教科書のCD−Rom教材を録音しましたが、原稿を読みながら、いい教科書だと思いました。まともにこの教材を使える先生がいたら、必ず学生たちは日本語が話せるようになるはずです。
うをを!それは厳しい! 全部、全部って…う〜んそれはすごい… どっちかっていうとコミュニカティブな教材みたいですね。 大体そういうのって結果が出るまでどれくらいかかるんでせうね。 楽しみです^^
>日本でもそのように、従来の英語教育の方法をすっかり改善し、韓国のように、近年の外国語教育理論(最新ではなく“近年”です)に則った英語教育をしているのでしょうか。
中学では今年の四月、高校では来年から「教育指導要綱」がおニューになり その場面の状況(例えば「抗議する」「依頼する」)をベースとした 「コミュニカティブアプローチ」という方法によくにた指導内容になるようです。 こんな感じですか?韓国のおニュー教科書。^^ でも、「ゆとり教育」の流れで教える内容は約三割減少です。
ちょっと心配。
でわでわ! ゆどうふ。
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