926 「論争
英語が公用語になる日」中公新書を読んで |
2002/02/09 11:24:30 aisya96
(参照数 15) |
上記の本をよみました。 かたい本ですけれども、テーマが身近なので読みにくい本ではないですよ。 この公用語化論争って、つまるところ、一般の国民にどの程度英語教育を行う必要があるか、ということにつきるようですね。 いわゆるエリート層に英語が必要だということはどの論者も一致しているし、また、英語が日本国内で今の日本語にとってかわるわけではないという点も一致しているのですから…。 後者の一般国民に英語が必要ないという議論には、さらに、単に必要ないという意見とむしろ弊害が多いという意見があります。この弊害の中には、・日本語という文化障壁がなくなり、英語の文化産業が直に入ってくると日本の産業を圧迫する、・日本人としてのアイデンティティーが失われる、なんてのが主なところでしょうか。 でも、こういう議論って、視点を下にずらして、「大衆」「庶民」としての立場で眺めてみると、・英語の文化産業を直に楽しむために英語をやった方がいい、・偏狭な民族意識にとじこめられないために英語をやった方がいい、ということになるのですね。 みるところ「大衆に英語は必要ない」なんていう議論をしている方は右派の論客が多い。一方で英語は大衆には必要ないなどといいながら、「新しい歴史教科書をつくる会」にみられるように日本国内でした通じない歴史観、国家観を中学生に押し付けようとしている人たちです。 エリートはもちろんのこと、私はそれ以外の人にこそ英語はもっと必要だと思います。 英語文化を直に楽しむことは人生を豊かにしますし、偏狭な民族意識にとらわれることが本人にとって幸せだとは思わない。田舎の床屋になるような子には英語教育はいらない…こんなことをいう人もいますが、むしろ床屋を目指すような子供こそ英語をきちんとやててゃどうでしょうか。これから日本にくる外国人はますます増えるでしょうし、彼らにとって国際語の通じる理髪店は需要が多く、そうしたところはさぞ繁盛するでしょう。また、理髪は万国共通の技術であり、その技術と英語力があれば、海外在住等人生の選択の範囲ははるかに広がります。 アジアでは英語が共通語となりつつありますし、小学校からの英語教育もほぼ世界の大勢です。日本では少子化がすすみ、一人一人に手厚い教育ができる機会であるにもかかわらず、ゆとりの名のもとに英語時間数が減っているのは実に不思議な現象です。
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