856   Re^2:意味や発音の衝突
2002/01/15 22:54:44  yudouhu   (参照数 24)
こにちわijustatさん!ゆどうふです。

>なるほど、それで受身の文型を取らないんですね。「うむ」は受身形の欠落した動詞と言い切ってしまいましょう。
>
>時々、ある文法形式が欠落した動詞があるけれども、たとえば、可能形がない動詞は、「ある」。「あれる」とは言わないから。自発的な意味がある「聞こえる」「見える」「できる」などは、それ自体が可能の意味を含んでいるせいか、可能形がない。作ってみたら(“できられる”)、すごく変でした。

そういわれてみれば、可能の形はないですね。
生むと同様、欠落してしまってるとわ。

>あともうひとつ考えられるのが、同じ形で別の語が存在するためにその文法形式が欠落したり、使用が避けられたりする例です。
>
>例えば、「知る」の尊敬は「ご存知だ」になるけれども、「お知りになっています」とか「お知りです」は言いませんよね。これは「お尻」と発音が同じだから使えないのだと思います。ただ、「お持ち」は「お餅」と発音が同じなのに使われるけれど、これはたぶん、「お尻」ほど変な感じがしないからでしょう。

う!(たまにいっちゃいます、「お尻」ですよね、って。。。)
うわーいわれて気づくこの事実。
すっごいはづかしうございます(爆)

>発音が同じ別の語に「お電話」と「おでんは」、「独逸」と「何奴」。「お電話かわりました」と言ったのを、「おでんは変わりました」と聞き取った学生がいました。「独逸」は私が作ったのですが、「そのボールペン、独逸のですか」という質問に「私のです」と答えられたらどうしよう、なんて言ったら、皆さんだったら居たたまれなくなるかもしれないけれど、学生たちには結構受けます(学期によって違う)。

それはやはり日本語力に比例してギャグのウケも変わるんですね^^
おでんは変わりました。新世紀に向けて…なんつって。
「死んで苦しむ」につながるからシクラメンの花は病人のお見舞いにはダメだとか、
音が同じということで生まれた回避行動もありますからね。
コトダマ信仰となんかかかわりあるのかもしれませんね。

でわでわ!
ゆどうふ。