853   意味や発音の衝突
2002/01/15 12:28:58  ijustat   (参照数 13)
DEBUさん、こんにちは。

>「うまれる」についてですけど、文法の話はひとまず置いておいて、
>この間自分で考えたでた結論は、
>
>「例え文法的には受身であろうと、『うまれた』からにはそれをくつがえすくらい
> 能動的に生きてやろうじゃねぇか。」

なるほど、それで受身の文型を取らないんですね。「うむ」は受身形の欠落した動詞と言い切ってしまいましょう。

時々、ある文法形式が欠落した動詞があるけれども、たとえば、可能形がない動詞は、「ある」。「あれる」とは言わないから。自発的な意味がある「聞こえる」「見える」「できる」などは、それ自体が可能の意味を含んでいるせいか、可能形がない。作ってみたら(“できられる”)、すごく変でした。

今探してるのが、「〜すぎる」が付かない用言。これはどんな用言にも付いてしまうようです。すごく不自然なのに「ちょうど良すぎる」なんていうのがあるけど、でもこれも不可能とは言えない。

あともうひとつ考えられるのが、同じ形で別の語が存在するためにその文法形式が欠落したり、使用が避けられたりする例です。

例えば、「知る」の尊敬は「ご存知だ」になるけれども、「お知りになっています」とか「お知りです」は言いませんよね。これは「お尻」と発音が同じだから使えないのだと思います。ただ、「お持ち」は「お餅」と発音が同じなのに使われるけれど、これはたぶん、「お尻」ほど変な感じがしないからでしょう。

また、「見にくい」は「醜い」と発音が同じなので、使うことは使うけれども、「見づらい」とか「見るのがたいへん」などを使って「見にくい」回避することがよくあるようです。「この写真、見にくいですね」と言ったら、変に誤解される可能性がありますから。

発音が同じ別の語に「お電話」と「おでんは」、「独逸」と「何奴」。「お電話かわりました」と言ったのを、「おでんは変わりました」と聞き取った学生がいました。「独逸」は私が作ったのですが、「そのボールペン、独逸のですか」という質問に「私のです」と答えられたらどうしよう、なんて言ったら、皆さんだったら居たたまれなくなるかもしれないけれど、学生たちには結構受けます(学期によって違う)。

そういえば、「長生き」を「長い木」と聞き取った学生がいました。「日本人は長生きの人が多いです」と言ったのを「日本人は長い木の人が多いです」と聞き取って、それは変ではないかと言いました。

……なんて、あれこれ用もないことを考えました。