642   Re^3:うっむむむ。。。
2001/09/01 01:37:52  ijustat   (参照数 12)
ゆどうふさま、お久しぶりです。ijustatです。本当に久しぶりに来て、今までの書き込みを全部読むのがちょっと大変でした。本当に面白い話がたくさん出ていますね。

>人数が多くない言語で、その言語を使用している集団があまり強くない(経済的/政治的に)
>ときに、その言語がつらい立場になってしまうらしいです
>なるべくたくさんの言語が存在する世の中のほうがおもしろいんですが。

そうですよね。この多様さの良さを認めたいですよね。

そういえば、多様さで面白いのは、日本は多様さを志向する傾向があるけれども、実際には枠があって、その枠にはみ出た多様なものは、認めないようです。韓国では逆に、多様さを認めようとせずに、何かひとつの標準を決めようとする傾向が強いですが、しかし、枠が小さい分、その枠から食み出てしまうものが多く、その枠自体も個人差があるため、結局多様なものにそれほど多くの抵抗を持っていないような気がします。ウィンディーさんはどう思いますか。

>英語はあくまで「コミュニケーション補助としての言葉」として
>教えていけばいいのかな…

英語は国際コミュニケーションの補助として生きてますね。

実は今日、日本の青山学院大学でのセミナーに送る学生を、面接試験で選抜したんですが、どんなセミナーなのか教えて下さいと担当の人に言ったら、青山大学から送られてきた手紙を見せてくれました。それは、英語で書いてありました。私にも分かるやさしい英語だったので、その場で恥を掻かずにすみました。(汗)

こういう分かりやすい英語が、コミュニケーションの補助としての英語なんじゃないかなあと思いました。

ところで、今日面接してみてあらためて思ったんですが、同じ日本語を勉強している人でも、日本語の専門書などの本を読んでいる人は、全然違うなと思いました。たとえ間違いは多くても、ある程度知的な単語(漢字語など)を使ってもすぐに理解でき、そして、その時理解した単語を使いかえして会話を続けることができます。しかし、ただ文法や会話の教材で勉強しただけの人は、易しく話した言葉すら理解できません。

渡辺照宏という人が、ある外国語でだいたい読めるようになるには、2千ページ読む必要があると書いていました。皆さんは、日本語ではすでに数万ページ(人によっては数十万ページ)読んでいることと思います。長年外国語をやっている人なら、2千ページは優に超えているかもしれません。

つくづく思いますが、外国語で本を読んでいる人は、その外国語で内容のある会話ができるようになります。学生の中で、趣味で日本語の雑誌や単行本などを読んでいる人は、実力が断然違います。

ただ、いくらその国の言葉でも、古い物(英語だったら、シェークスピアの作品や欽定訳聖書など)は、現代語の習得には回り道過ぎると思います。以前、江戸時代の人情本ばかり読んでいた留学生が、日本語の「人情」という単語は低俗だと言ったのには苦笑したことがあります。彼の日本語は、ときどき聞き取れない言葉が含まれていましたが、それは、どうやら人情本に出てくる言い回しだったようです。

……と、どんどん話が取り止めもなく流れてしまいました。

あ、そうそう、涼さん、「涼」という字は韓国語で「ヤン」です。語頭では“r”の音は脱落するんです。北朝鮮では「リャン」と読んでいるようです。