258   学習書(Re:257)
2001/03/10 00:47:54  ijustat-lj   (参照数 13)
ゆどうふさんこにちわ!ijustatです。

>しかし、サクサクレベルが上がるのは最初だけ。だんだんスライムクラスの簡単な問題ではなかなか
>レベルが上がらなくなってしまいます。

うう、また分からない言葉が・・・。「スライム」って何ですか。

ところで、外国語を勉強していると、ある段階で急に難しくなることがありますが、じつは、いきなりひどく難しくなるときは、カリキュラムの欠陥か、または、その教材や教師の言語観が未熟なためだと思います。(これは、自分自身に対する忠告です)

韓国で昔出ていた日本語の教科書は、はじめに名詞から始まって形容詞と形容動詞まではいいんですが、動詞の「て形」(=動詞の連用形に接続助詞「て」が付くときの形)に入ったところで挫折する人がたくさんいたそうです。

その教材を見ると、「て形」のところだけひときわ変化表が込み入ってみえるのです。そして、それをうまくフォローできる練習問題もない。これじゃ、挫折するのが当然で、私だって、ここで挫折してしまうかもしれないと思いました。

語学の習得ができないのを教材のせいにするのは卑怯だと思うかもしれませんが、教材を作る立場から見ると、手抜き、考えの未熟さ、理論的背景の不在などは、とても目立って見えます。どういう風に見えるかというと、何だかすごく野蛮なものに見えるのです。でも、ときには理論の先走った教材もあります。見ただけで、教えにくそうです。どちらも、学習者は苦労するでしょう。

じゃあ、優れた教材を見ると、どう思うか。その教材の決め細やかな配慮に感嘆し、その著者を賛美するとともに、自分の才能の足りなさに絶望的な気分になり、家に帰って不て寝してしまいたくなります。そして、自分もどこかでその教材を使って教えてみたくなります。自分が勉強したことのない外国語の教材でも、そう思うのです(笑)。

いい教材の条件に、例の『外国語上達法』では、普遍的な条件がいくつか指摘されています。何を隠そう、私は、その本の「学習書」という章は、教材作りを始める前に、たいていいつも読むんです。最初の半分は、古典語の教材の話だから、私には関係ないし、時代遅れの方式でもあるので、注意しながら読むけれども、後半部分には、素晴らしいアドバイスがたくさん出ています。ただし、時代遅れだからといって、無視するのはまずいと思います。良いものは(つまり、外国語の習得に役立つものは)、捨てるべきではありません。(実は、こういうことを言うのは、専門の教育を受けた日本語教師の前では、勇気が要るのです。)

今度、時間があったら(いつもあるんですが)、いい教材の条件について、私になりに考えてリストアップしてみたいと思います。

それでは・・・。