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外国語にまつわる名言集


「外国語を知らない者は、自国語に対しても無知である」(ゲーテ)
"Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiss nichts von seiner eigenen."

外国語・外国語学習にまつわる「名言」を集めてみました。

「知り合いのフランス人が、『日本人が時々話しかけてくるけれど、
いつも『ドゥー・ユー・スピーク・イングリッシュ?』なのよね。
ガイジンなら英語を話して当たり前、と思っているんだ』とぼやいたことがあります」
(『危うし!小学校英語』鳥飼玖美子)

「他の事と違い、英語は誰もが体験していて、何故かよく覚えており、
そして決まって恨みをもっています」
(『危うし!小学校英語』鳥飼玖美子)

「同じ街に住むブラジル人を横目に、ポルトガル語では無く英語を全市の小学校で教える、という
『国際理解教育』を私は信じません」
(『危うし!小学校英語』鳥飼玖美子)

「何故、世界征服を企むのか。
くだらん国境を取り払って世界を一つに結び、疑いやいがみ合い、傷つけあうことなく
格差をなくし、誰の子供も自分の子供と同じくらい愛するのが世界征服の意味じゃないのか!
こんな世界征服、世界の私物化じゃないか!」(The frogman Show「秘密結社鷹の爪」鷹の爪団総統)

英語ひとつしかできないクセに、世界を制覇したような気分でいるヤツは間違っている。
そう思っているところは、以前となんら変わるところがない。
英語に限らず、単一言語の世界はつまらない。
ひとつの言語にしか興味がなくてほかの世界を否定するようなのは、面白くないのである。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

留学経験者にはとにかく「現地に行かなきゃダメだ」という発想が強い。
日本でろくに勉強しなかった人ほど厳しくそういう。
そういう人から見れば、私もダメなんでしょうけどね。
でも外国語学習者は、みんながみんな外国に勉強にいけるわけではない。
そういう人をこれからも応援していきたい。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

現地に行かなくてもがんばっている学問だってあるはずだ。
たとえば、天文学の先生がみんな月や火星に行くわけには…
(『その他の外国語』黒田龍之介)

よく透明を目指す人がいるけれど、私にはつまらない。
政治や宗教や価値観をひた隠しにして、
誰とでも付き合えるマルチ人間を目指すのは、どうも私には無理である。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

検察官「どうしてフランス語が話せるのですか?」
わたし「勉強しました」
検察官「珍しいわね」
それからこの検察官はちょっとさびしそうな表情になって、こういった。
「日本人って、英語ばかりなのよねえ…」
(『その他の外国語』黒田龍之介)

外国語ができないのは恥ずかしい。そういう思いの強い人は、
何とか理由をつけて正当化しようと試みる。
自分には外国語を学ぶ環境が整っていなかった。
だから仕方がないのだ。
そして外国語学習をあきらめる。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

それぞれいいところ、弱いところがある。
一番いけないのは、世代のせいにして努力しないことだ。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

日本人はもっと日本のことを知るべきだ。外国かぶれは恥ずかしい行為だ。
昔からそういう意見もあるけれど、それは違う。
外国に興味を持つことは健全なことだ。
自分と違う生活や思想を持っている人のことを知ろうとする行為は、
ある意味で自然なことである。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

しかし、外国語学習で奇跡は起きない。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

でも、テレビなどでお笑いの人がやっている「オー、ノー」とか「ワターシハー、アメーリカジンデース」などという
外国人の音の真似は、大嫌いである。
外国語の発音で努力していない者に、他人を笑う資格はない。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

中学・高校で6年間といっても、週にたった3、4時間。四十五分の授業を四回受けたとして、週に三時間。
これが一年続いても、春、夏、冬の休みを差し引くと、多めに見積もっても四十五週。
運動会なんかでつぶれなくても、たった百三十五時間。
これが六年でせいぜい八百十時間。
ほんとうはこれすらやってない。
もし一日中時間勉強しようと決心すれば、三ヶ月足らずで終わってしまう。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

外国語とはとても時間のかかるものである。この認識が一般に弱い。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

一年三百六十五日を外国語に当ててきた人は普通いません。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

世の中が世知辛くなってくると、「その他」を認めないようになる。
みんな自分の存在価値を強調しようとするあまり、「その他」を否定しようとするのだ。
これは危険な兆候。
(『その他の外国語』黒田龍之介)

「厳しさなんてどんな道にも存在するのです 書道にも釣りにもジョギングにも
車の免許の取得にも英会話の学習にも惚れた女性を誘惑するにも」(『餓狼伝』)

「この二十年、大学で英語を教えていて痛感するのは、
英語のできない学生は例外なく日本語の表現力が乏しいことです」
(斉藤兆史)

「大体英語コンプレックスの強い親ほど子どもを「バイリンガルにしよう」と早くから英語教育を押し付けたがる。
でも、完全な「バイリンガル」などまず不可能だし、
そんな英語コンプレックスを持つ必要もないんです。」
(斉藤兆史)

「文科省には英語教育の哲学も理念も、政策もない。
「オラル」礼賛は基本的に間違っています。」
(斉藤兆史)

「「大衆」は、現在までのところ、小学校英語教育に自らはたせなかった「夢」を託しています。」
(和田稔)

「『十年も英語を習っているのに、手紙一本かけない』―
これが、従来の英語教育の非効率性を非難する際の決まり文句であったとしてよいでしょう。
(中略)
こういう非難に対し、『本当にそうだ、私自身もそういう被害者の一人だ』と
本気で考えている人がいるなら、その人に問いたい。
とくに、『あなたは日本語の手紙ならちゃんと書けるのですか』ということと、
『あなたはちゃんと英語の勉強をしたのですか』ということです。
日本語でろくな手紙もかけない人が英語でまともな手紙を書けるわけがありません。
これは、英語力以前の問題です。
週に一回、二回、あるいは、三回授業に出るだけで、英語が出来るようになると考えるのは大きな間違いです。」
(和田稔)

「もし文法的な誤りを犯したり、誤った語を用いたりしたら、人はあなたが話すのが下手だと思いますが、
もし文化的に誤ったことをしたら、人はあなたの態度が悪いと取るのです」
(『バイリンガル・ファミリー』イーディス・H・エッシュ/フィリップ・ライリー)

「想像力の欠如は、相手の文化と歴史に対する無関心から来る。
2002年に米国の全ての大学において、アラビア語で単位をとった学生は6人に過ぎなかった」
(船橋洋一)

「2002年2月18日、ブッシュ大統領夫人は、東京中央区の小学校を訪ね、
その図書室で2年生に対して「童話『ひとまねこざる』の絵本を英語で朗読」した。
日本の首相、いや、どんな国のトップの人も、それと同様のことを考えもつかないだろう。
本田勝一も言うように、これは、まぎれもなく、英語帝国主義による究極の差別なのである。」
(『英語帝国主義に抗する理念』大石俊一)

本当に楽しい英語学習とは、単調な訓練を楽しく感じさせてくれる知的な作業のことであり、
ただ楽しく遊ぶことではない。
(『英語教育はなぜ間違うのか』山田雄一郎)

言語学習がルールに支配されているというのは、大切な視点である。
子どもは、膨大な量の単語や文をいちいち覚えていたのでは大変だということを本能的に知っているのである。
この点は重要で、外国語学習の場合にも十分に考慮に入れなくてはならないことである。
(『英語教育はなぜ間違うのか』山田雄一郎)

イギリス人は英語が広く話されているため、他の言語の必要性をあまり認識していない。
英語しか話せないイギリス人は、二つ以上の言語を流暢に操る外国の人たちに比べて明らかに不利であり、
国際競争の上で危険な立場に置かれている。
(タルボット博士・英ハル大学現代語学科長)

しばしば揶揄の対象となる日本人のバイリンガル願望は、言語的平和の所産である。
多言語国家のバイリンガリズムは、環境の所産である。彼らがもう一つの言語を「話さなければならない」のに対し、
われわれは、もう一つの言語を「話したい」といっているに過ぎない。
突き放した言い方をするなら、それは、何処までも願望であり、一種の贅沢である。
(『英語教育はなぜ間違うのか』山田雄一郎)

「いずれにしても、トイレのスリッパを次の人のことを考えずに、平気で逆向きに脱いできたり、
電車の中で脚を大きく広げて二人分のシートを平然と独占したりしているようなとんでもない手合いには、
まともな英語がしゃべれるわけがない。
英語の表面上の言い回しだけを、いくら熱心の習得しようと努めてみてもである。」
(『PenもGirlも英語じゃなかった!』尾崎博己)

「どうしてでしょうか。英語は何のために必要なのでしょう。
もしも英語が自由に操れるとしたら、『英語くらい』といった言葉に代表される、
劣等感の裏返しとしての『英語願望』を子どもに押し付けることもないでしょう。
自分にその能力がないのであれば、自分こそ努力してそれを身につけようとするのが本来あるべき姿でしょう。
自分はさておき、子どもにその努力を一方的に押付けても説得力はありません。」
(『公立小学校でやってみよう!英語』吉村峰子)

「どんな『英語』ならきれいなのですか?」
「そりゃあ、イギリスやアメリカで話されている英語ですよ」
人々が一番自然に話す言葉は、母語です。そして、それぞれの母語には、それぞれの成り立ち、歴史があります。
例えいわゆる世界の主流の英語の発音や言い回しとは違っていても、だから品がない、汚いと批判するのはどうでしょうか。
(中略)でも、それを第三者が「きれい」「きたない」という基準で批判するのは、おこがましく、見当違いです。
(『公立小学校でやってみよう!英語』吉村峰子)

英語は、アメリカ合衆国やイギリスだけで話されている言語ではないのです。
様々な場所や異なる立場にあって、一番共通する言葉だからこそ英語が使われるのです。
(『公立小学校でやってみよう!英語』吉村峰子)

が、私には、大学の仕事をするようになってからときどき出会う
この「苦労せずに外国語が出来るようになりたい」という発想自体が、実に興味深い。
外国語習得のプロセスを、一体どのようなプロセスだと考えているのか、是非聞きたくなるのだ。
(『ニホン語、話せますか?』マーク・ピーターセン)

外国語は、楽器やスポーツと同じく、やる気のある人が自分から進んで練習を繰り返し、
日々の努力の積み重ねで技術を覚える、というものである。
なのに、日本国民全員の英語上達の責任は学校にある、なんていうような考え方は、最初からおかしい。
(『ニホン語、話せますか?』マーク・ピーターセン)

「洋行。
案外、そんなところに、君たちと民衆との騙しあいが成立しているのではないか。
まさか、ということなかれ。
民衆は奇態に、この洋行というものに、おびえるくらい関心を持つ。」(太宰治)

「も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。お前以外の流儀のものを、
いや、その苦しさをわかるように努力せよ。
どうしても、わからぬならば、だまっていろ。」(太宰治)

「おっ、ここには、読解力中心の受験英語は入試が終わると忘れ去られるなんてことが書いてあるぞ」
「それはその人が忘れたんでしょってことです。
さっきも言ったように英語を仕事にしてる人たちの多くは『役に立ってる』と断言してるんですから」
(『とっても英文法』大島保彦)

「もう頭来た!先生、ちょっとこの英語の発音ってどうにかなんないんですかッ。
何でこんないい加減で不規則なんですかッ。とても覚えられませんよっ!」
「あのね、不規則でいい加減なのは、むしろ君の性格だよ。
でもね、なんにでも不規則ってのはあるんだよ」(『とっても英文法』大島保彦)

「クレオパトラも美貌の持ち主だった。でも彼女は七ヶ国語くらい話す教養もあった。
アレキサンドリアで彼女が髪をいじりながらヘラヘラしてるだけだったら、アントニウスは恋に落ちたと思う?」
(『うまくいっている女の、かなり冴えた考え方』スーザン・ギルマン)



「にんげんにふかのーはない」
(『クレヨンしんちゃん』野原しんのすけ)